エネルギー業界ニュース

本橋恵一の「これからのエネルギー事業を考えよう」

本橋 恵一:環境エネルギージャーナリスト/コンサルタント・H Energy日本担当カン トリーマネージャー
エネルギー業界誌記者、エネルギーIoT企業マーケティング責任者などを経て、電力システムや再エネ、脱炭素のビジネスモデルなどのレポート執筆、講演などで活躍。著書に『電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本』『図解即戦力 脱炭素のビジネス戦略と技術がしっかりわかる教科書』ほか。

連載41〜連載31〜40連載21〜30連載20:核融合炉と宇宙太陽光発電連載19:持続可能であるということ連載18:守りよりも攻めが重要-参議院議員選挙と若者の投票行動連載17:カーボンクレジット市場の過熱に惑わされてはいけない連載16:現実を見ないことが原子力の問題連載15:ガソリンのように電気を買う時代は来るのか?連載14:LPガスから撤退する東京ガスと事業ドメイン連載13:円安の時代とイノベーションの不在連載12:アマゾン労組と値上げできない電力連載11:エネワンでんきの設立と、エルピオの小売電気事業からの撤退連載1〜10

連載20(2022.8.15)

核融合炉と宇宙太陽光発電

 このところ、核融合炉と宇宙太陽光発電について、続けて記事を書く機会があった。いずれも、夢物語のような発電技術ではあるが、同時に、かなりまじめに研究開発もなされていて、それなりに資金もつぎ込まれている。2050年以降の実用化ということになりそうなので、遠い話のような気がするが、28年後と思うと、そうでもないかもしれない。2050年カーボンニュートラルと同じような感覚だろうか。

 核融合炉も太陽光宇宙発電も、アイデアそのものはけっこう古い。
 核融合に関しては、そもそも1920年代にはその事象が発見されている。水素原子どうしが融合してヘリウム原子になるときに、莫大なエネルギーが発生するというもので、太陽のエネルギーも核融合によるものだ。
 核反応といえば、もう1つ、核分裂がある。こちらは、ウラン原子に中性子がぶつかって、2つの原子に分裂するときに、莫大なエネルギーが出るというものだ。
 兵器という文脈でもれば、核分裂は原子爆弾であり、核分裂は水素爆弾ということになる。そして、質量あたりのエネルギーでいえば、核分裂よりも核融合の方が圧倒的に大きい。
 宇宙太陽光発電はもう少し歴史が新しいが、1950年代に人工衛星が打ち上げられた時点で、こうしたアイデアが出ており、1968年には概念をまとめた論文が発表されている。

 巨大なテクノロジーの分野は、しばしば実用化までに時間がかかる。似たようなものとしては、リニアモーターカーがある。現在、ようやく建設中までこぎつけたところだ。進化の袋小路に入ってしまうものもある。超音速旅客機がその例だ。
 そのように考えていくと、核融合炉も宇宙太陽光発電も長い時間がかかっていることはうなずける。そして、それが進化の袋小路に入ってしまう可能性も否定できない。

 とはいえ、核融合炉についていえば、近年は投資額が増えており、スタートアップもいくつも誕生している。もちろん、カーボンニュートラルを実現するための重要な技術の1つとして考えられているということが、背景にある。
 原子力発電の場合、放射性物質の取り扱いこそ簡単ではないが、構造的にはシンプルだ。核分裂するウラン燃料で直接お湯を沸かして、蒸気タービンを回し、発電するというものだ。
 その点、核融合炉では水素の同位体である重水素と三重水素(トリチウム)が燃料として使われる。いずれも常温では気体であり、反応させるためには極めて高い温度が必要となる。その時点で、プラズマとなり、そのままでは容器に閉じ込めることさえできない。
 そこで、核融合炉では電磁石で磁界をつくり、その中に重水素と三重水素のプラズマを閉じ込め、核融合反応させる。このときに、ヘリウムができて、中性子が飛び出す。
 核融合のエネルギーを回収するしくみは、核融合による熱ではなく、飛び出した中性子が炉壁に衝突することで発熱し、この熱でお湯をつくって蒸気タービンを回すことになる。ここまでくれば、あとは原子力発電と同じしくみだ。
 核融合炉の開発にあたっての最大の課題は、核融合を起こす重水素と三重水素のプラズマをいかに閉じ込め、核融合反応を持続させるか。そしてどのようにそのエネルギーを取り出すかだ。とりあえず、短時間ではあるが、核融合反応を持続させることには成功している。そして現在は、実証炉がフランスで建設が進められている。

 ところで、核融合炉の燃料である重水素は海水中に多量に含まれており、資源量は問題ない。一方、三重水素については、リチウムに中性子をあててつくるとされている。リチウムもまた、海水中に多く含まれているので、資源量として問題なく、7万年分のエネルギーを供給できるともいわれている。
 とはいえ、正直なところ、リチウムから三重水素をつくることには疑問がないわけではない。核融合燃料をつくるプラントも簡単ではないだろう。
 その一方で、三重水素そのものは放射性物質でもあり、廃棄処分が問題となっている。言うまでもなく、福島第一原発の汚染水だ。ここに含まれる放射性物質は主に三重水素(トリチウム)なのだが、これを取り出して核融合炉で使うということは考えられていない。

 もう1つ、懸念されるのは、核融合炉で放出される中性子だ。中性子線は透過率が高いため、遮蔽も簡単ではない。1999年の東海臨界事故は、中性子線による被ばくが2名の作業員の命をうばった。

 もちろん、開発の従事する技術者は、こうしたリスクを理解した上で、安全でカーボンゼロのエネルギーをつくるつもりである。

 宇宙太陽光発電は、宇宙空間の静止軌道上に太陽光発電を打ち上げ、エネルギーをマイクロ波という電波にして地上に送るというものだ。宇宙には夜がないので、ほぼ24時間発電できる。たくさん打ち上げることができれば、こちらもカーボンゼロのエネルギーをたくさん作りだすことができる。

 課題となる技術は大きく2つ。1つは巨大な構造物を宇宙に打ち上げて組み立てるためのコストが莫大なことだ。コストを50分の1に下げる必要がある。ただし、この技術開発は宇宙太陽光発電に限ったものとはならない。
 もう1つは、マイクロ波による送電効率の向上だ。現在は地上でさまざまな実験が行われているが、50m程度でも、1割くらいのエネルギーしか遅れていない。
 それでも、中国は太陽光発電の電気をマイクロ波で送電する実験に成功しており、2028年には最初の衛星を打ち上げるという。
 日本なども2030年代には同様に実証衛星を打ち上げる方針だ。
 ただ、実際には地上でマイクロ波を受け取る設備には広い面積が必要となるし、そもそも打ち上げコストの低減は簡単ではないだろう。

 それでも、宇宙太陽光発電もまた、カーボンゼロのエネルギーの重要なオプションとして研究が進められている。

 核融合炉や宇宙太陽光発電がエネルギー問題を確実に解決するわけではないが、可能性がないわけでもない。落とし穴も少なくない。この他にもさまざまな技術の開発が進められており、あるものは実用化され、あるものは棄却されるだろう。
 同じことは、メタネーションやプロパネーション、CCUSやDAC(二酸化炭素直接回収)についてもいえる。

 技術に対して、過剰な期待も安易な否定も避けるべきなのだと思う。その上で、どこかの時点では答えが出るはずだ。私たちは、冷静に可能性を見ながら、リスクを判断し、可能性の海を泳いでいくことになる。そうした中で、将来の夢を語ってもいいのではないか、とも思うのである。

連載19(2022.8.1)

持続可能であるということ

 先日、日本語学校で「SDGs」をテーマにした講義を行った。
 エネルギー業界人向けのセミナーの講師は何度も経験があるが、留学生、それも若い人たちに対する講義というのは、貴重な経験だったといえるだろう。

 短い時間の中で、SDGsについてどんな話をすればいいのか、それをまず考えた。SDGs全般、17のテーマを紹介しても表面的になってしまう。そこで、最初は気候変動問題にフォーカスすることを考えた。もちろん、筆者の専門がエネルギーであるゆえに、気候変動についてはいくらでも説明できる。また、社会の関心が高いテーマでもある。
 けれども、講義の内容を検討していくうえで、かえって専門的な話になりがちであることに気づいた。それに、気候変動問題だけがSDGsのテーマではないし、留学生にとっては、もっと身近なテーマもあるのではないか、と考え直した。

 SDGsは、日本語に直すと「持続可能な開発の目標」ということになる。
「開発」はわかりやすい。人々が豊かに暮らしていくためには、まだまだ開発すべきことがある。インフラの開発というイメージが強いかもしれないが、教育のような人の能力の開発もある。
 一方、「持続可能」というのはわかりにくい。というか、日常は使わない言葉だ。これをやさしく言い換えると、「何かをし続けられる」ということになる。
 では、どんなものが持続可能であり、あるいはそうではないのか。気候変動問題をこの文脈で話すとすれば、二酸化炭素を出し続けることはできない、ということになる。
 魚を獲りすぎるということは続けられないし、森林を牧場にし続けることもできない。

 SDGsにおいては、「誰もが当事者である」ということ、そして「誰一人取り残さないこと」も重要だ。では、私たちは当事者として何をすればいいのか。
 「レジ袋やプラスチックのスプーン・フォークをもらわない」、「照明をこまめに消す」、「牛肉を食べるのは控える」など、身近にできることはたくさんある。でも、それだけでSDGsが達成されるわけではない。若い世代にはもっと考えるべきことがある。
 ヒントとなるのは、「持続可能ではない事業」には、銀行をはじめ機関投資家はお金を貸してくれなくなりつつある、ということだ。いわゆるESG投資だが、それは何も環境や社会をよりよいものにする、というだけではない。環境や社会に害を与える事業への投資は、長期的には投資回収ができなくなる、ということだ。
 つまり、これから若い人たちは、持続可能な事業に関係する仕事をしていく方がいいということである。そして、SDGsに取り組むという点では、こうした視点で考えることの方が、よほど社会への影響が大きいのではないだろうか。

 講義は45分×2コマで構成されている。最初の1コマで、「持続可能であること」を中心にSDGsのポイントを解説し、ワークショップでは身近なこととして、「持続可能なこと」と「持続可能ではないこと」を討論してもらった。母国での環境破壊を語る学生もいた。
 後半は、SDGsにそってどんな取り組みができるのか、そのアウトラインを話した。持続可能な事業の例や、今の事業が持続可能であるためにすべきことを例示した。例えば、今の会社においても、取締役や管理職は「中高年の男性」ばかりではなく、「女性」や「外国人」の割合を増やすこと。事業環境の変化に対して、多様性を持った組織の方が耐性は強い。
 働き方や地域住民とのパートナーシップなども、持続可能であるためには必要だ。地元とトラブルを起こすメガソーラー開発が持続可能ではないのは言うまでもない。
 そして、ワークショップとして、「将来、どのような持続可能な仕事をしたいのか」ということを話し合ってもらった。

 気候変動問題の国際交渉では、「共通だが差異ある責任」という言葉が使われる。それは、先進国と途上国の間で、どちらも責任あるが、先進国がより重い責任を持つということを意味している。しかし近年は、世代間にも「共通だが差異ある責任」があることが認識されている。年長の世代の方がより重い責任を持っている。
 そうした責任の重さを感じながら、若い世代に何を伝えるべきなのかを考えて、講義を行った。
 慣れない講義だったので、どこまで伝わったのか、その点では不安は残る。それでも、筆者にとってもまた、貴重な経験となった。

連載18(2022.7.21)

守りよりも攻めが重要-参議院議員選挙と若者の投票行動

 7月10日投開票の参議院議員選挙が行われた。選挙結果はいろいろな見方があると思う。ただ、イデオロギー的なことを別にして、結果を通じてあらためて感じたことを書いておきたい。
 単純に言えば、「守る」政党は凋落し、「攻める」政党が票を伸ばした、ということだ。

 例えば、「護憲」勢力はなぜ伸びなかったのか。そもそも、有権者は日本国憲法にさほど興味がないということはさておいて。「護憲」勢力の多くは、憲法第9条を守るということを中心に置いていた。確かに、戦争をしないほうがいい。けれども、それだけで若い世代が直面する困難さが解決できるわけではない。
 日本国憲法で第9条と同じようによく語られるのが、第25条だ。いわゆる「健康で文化的な最低限度の生活をする権利」である。この第25条を中心とした第3章の部分が、「基本的人権」を規定している。
 憲法第9条からなる第2章と、基本的人権について書かれた第3章では、置かれている状況が異なっている。というのも、70年以上もの間、日本は戦争をしなかったけれども、基本的人権が守られてきたとはとうてい言えないからだ。いわゆるブラック校則の問題や、国別比較で100位以下で低迷するジェンダー平等性がその証左だ。
 若い世代が直面する困難さは、この第3章がいまだに十分に守られていないことに関係している。
 このように見ていくと、第9条を守ろうという「護憲」勢力は票を伸ばせず、第3章を実現しようという攻めの姿勢の「護憲」勢力が票をのばしたように見える。
 その点、「改憲」勢力はそもそも攻めの姿勢なので、議席を守ったのも当然なのだろう。

 このことは、かつて安倍政権が長期政権となったことにも通底している。安倍政権の目玉は「アベノミクス」だったが、あまり効果的な批判はなされなかった。ある程度は成功していた部分があるだけに、全否定に説得力がなかった。
 アベノミクスの3本の矢というのは、「金融戦略」「財政戦略」「成長戦略」だった。このうち日本銀行が担っていた「金融戦略」では、市場にお金を供給したことで、まがりなりにも経済がまわっていたといえる。しかし政府が担っていた「財政戦略」は、供給されたお金をお友達に配ることに終始してしまい、隅々にいきわたることはなかった。アベノミクスが批判される点はここにある。さらに言えば、「成長戦略」には中味がなかった。
 アベノミクスの問題をもっともよく見抜いていたのは、ほかならぬ岸田首相である。だからこそ、「新しい資本主義」を打ち出し、「再分配」をすすめようとした。つまり、野党以上に明確に「アベノミクス」の対案を示したということだ(もっとも、最近はすっかりトーンダウンしているが)。

 参議院議員選挙の結果を通じて感じたことというのは、「守り」より「攻め」が人の心をつかむということだ。
 「戦争のない日本」を守るよりも、「誰もが健康で文化的な生活ができる豊かな日本」を作る「攻め」が強く求められるということでもある。
 もう少し普遍的に言えば、「現状を守る」よりも「未来を構想し、実現する」方が市場では優位ということでもある。
 もちろん、「現状を守る」ことを言葉にするのはたやすい。それに対して、「未来を構想する」ことは、多くの知見を動員しなければいけないし、利害対立も出てくる。それでも、生き残るためには「攻め」が必要だ。それは政党でも企業でも同じことではないだろうか。

連載17(2022.7.13)

カーボンクレジット市場の過熱に惑わされてはいけない

 ここしばらく、いくつかの会社からカーボンクレジットについて教えて欲しいという問合せを受けている。実際に、カーボンクレジットの取引は活発化しているようだ。その背景には、手軽にCO2排出量を削減したいという大手企業の思惑がある。また、そこにビジネスチャンスがあるのではないか、と考える企業もある。
 LPガス業界においても、カーボンニュートラル(CN)LPガスの供給にあたっては、こうしたクレジットが利用されている。

 一方、カーボンクレジットの信頼性が問われるようになってきてもいる。とりわけ、森林保全や植林関連のクレジットの場合、問題を抱えたケースが多い。
 森林を保全し、植物が適切に育つのであれば、確かにCO2を吸収してくれる。それが適切に評価され、第三者認証を得ることで、カーボンクレジットが発行される。
 しかし、せっかく保全した森林や植林が放棄されてしまえば、CO2吸収は進まないし、場合によってはCO2排出源ともなる。カーボンクレジットを発行した後に、森林保全事業がストップしてしまえば、実質的にCO2は吸収されなかったということにもなる。

 さらに、森林保全・植林の場合、カーボンクレジットの発行対象から外そうという動きもある。どういうことかというと、一部の環境NGOが主張しているのは、生物多様性の保全が優先されるということだ。適切な森林保全は生物多様性も保全する。そうであれば、カーボンクレジットとは別の形で評価されるべきだということだ。
 逆に、生態系を無視して成長の早い樹種を植林してしまえば、CO2は吸収されるが、生態系は破壊されるということにもなる。

 カーボンクレジットにはもう1つ課題がある。それは、パリ協定との整合性だ。
 現時点で発行されている国際的なクレジットは、基本的にはパリ協定における国別のCO2排出削減目標の達成に使えないと考えていい。つまり、日本の事業者がカーボンクレジットを使ってCO2排出を削減しても、日本のCO2排出削減には貢献していないということになる。その点、J-クレジットなど国内クレジットは、日本のCO2排出削減と明確にリンクしているので、パリ協定と整合していると考えていい。
なお、こうした状況であっても、後述するように、国際的なカーボンクレジットの利用が無意味なわけではない。
 パリ協定の第6条に、カーボンクレジットに関する取り決めがある。とはいえ、このしくみの詳細はこれからつくられることになっている。例えば、先進国が途上国でCO2排出を削減したときの認証機関はどうするのか、といったことだ。そうした意味においても、パリ協定との整合性はこれから構築される、ということになる。

 それでも、カーボンクレジットを通じたCO2排出削減には、経済的合理性がある。CO2排出を削減しやすいところから実施していく、ということになるからだ。よく言われるのは、省エネが進んでいるところでさらに省エネするよりも、省エネが進んでいないとことで進めた方が、CO2排出削減のコストは小さい、ということだ。再エネ導入についても、導入コストが小さいところから優先して行っていくということが合理的である。

 では、今後、どのようにカーボンクレジットとつきあっていけばいいのだろうか。
 第1に、カーボンクレジットの信頼性の確保だ。信頼性は透明性と言い換えてもいいだろう。どの場所で、どのような事業を実施し、その結果として発行されたクレジットである、ということが明確にわかることが必要だ。また、森林保全や植林の場合は、継続的なレポートが求められる。
 第2に、そうはいってもパリ協定と整合性のない現在の国際的なクレジットは一時的なものだと考えるべきだ。今後、パリ協定と整合性あるクレジットの発行がなされていくだろう。日本が実施している二国間クレジットがそうしたクレジットとなっていく見込みだ。将来にむけた準備や情報収集をしておくことは無駄ではない。
 第3に、一般消費者のCO2排出削減という「気持ち」に応えていくには、透明性を持つクレジットが不可欠だ。まさに、どこでどのようにしてCO2排出を削減しているのか、一般消費者がCO2排出削減にどのように貢献しているのか、こうしたことを「見える化」した上で、提供していくことになる。

 パリ協定と整合性があるカーボンクレジットが発行されるようになったとしても、クレジットビジネスはせいぜい2040年までだろう。カーボンゼロがあたりまえの社会になると、CO2排出そのものが認められなくなり、クレジットが発行できなくなっていくからだ。そうしたときに、唯一発行可能なのは、大気中からCO2を除去するようなカーボンマイナスの事業からのクレジット発行ということになる。
 こうした視野を持って、カーボンクレジットと上手に付き合っていくことが必要だ。
 何となく、過熱しているようなカーボンクレジットビジネスだが、冷静に、長期的視野を持って対応していくことが求められる。

連載16(2022.6.22)

現実を見ないことが原子力の問題

 原子力というと、何となく「賛成」か「反対」かというイデオロギー的な問題というイメージがある。けれども、日本の原子力が直面しているのは、そうした問題ではなく、いかに安全に再稼働させるか、あるいはコスト効率的な運用に着陸させていくのか、ということだ。
 6月20日現在でも、電力の市場価格は高止まりしており、7月から8月にかけて需給のひっ迫が予想されている。そのため、原子力の再稼働を望む声は少なくない。けれども、原子力は「可能なものは再稼働させる」ことですでに決着している。
 原子力の再稼働が進まない問題を、イデオロギーの問題に転換させてしまうことで、本質的な問題を見ないようにしている、というのが実情だ。
 そして、「見たくない現実は見ない」ということが、日本社会における最大の問題ではないだろうか。

 原子力の再稼働が進まないのは、日本において「安全に原子力発電所を運転する」ことに、手間がかかるからだ。つい先日も、石川県の珠洲市の近くで震度6弱の地震があった。珠洲市はかつて原子力発電所の計画があった場所だ。かように、地震の多い国土で原子力発電所を運転するためには、活断層の調査から災害時の対応のための施設の整備、十分な耐震性能、運転管理の適正化、災害時の避難計画の策定など実施すべきことは多い。
 対テロ対策も必要だ。米国の9.11同時多発テロでは、1機はピッツバーグの原発を目指していたが、途中で撃墜されたといわれている。
 原子力の再稼働は、調査、計画策定、審査、工事などがすんでからということになるし、そのためには多くの時間がかかっている。それが現実だ。反対運動や国民の感情で再稼働できていないというわけではない。また、原子力規制委員会も「安全に原子力発電所を運転」してもらうために、最大限の努力をしているはずだ。
 結局のところ、日本で原子力を推進したい人たちの実力が、ここまでなのだ。

 日本社会には、このように見たくない現実から目をそらすことは少なくない。
 例えば、2000年代の産業界における京都議定書への評価は「米国も中国も参加していないのに、日本だけがCO2排出削減をするのは意味がない」ということだった。しかし2008年にオバマ政権が誕生した時期は、米国も中国もCO2排出削減に前向きに取り組んでおり、日本だけが削減に後ろ向きだった。そこで日本は気候変動問題をめぐる国際社会から取り残されていった。
 何も環境やエネルギーだけではない。少子化も同様だ。若い世代の賃金が伸びず、とりわけ女性の雇用環境が変化しないのでは、出産に対する機会費用は高まるばかりだ。子供を持つと豊かに暮らせなくなる、という現実を誰も見ない。その結果、何の対策もとられることなく、出生数は下がる一方だ。
 同じことは、教師が不足しても増やされない文教予算、働き手が減少しても受け入れない移民、身近にスポーツを楽しめる環境の整備を差し置いて赤字垂れ流しで行われたオリンピックなど、いくらでもある。まともな外交ができずにいくつかの国とは関係は悪化したままだ。

 けれども、未来を見るためには、見たくないものであってもきちんと見る必要がある。そこでは、必ずしも望ましい世界は見られないかもしれない。けれども、生き残るための未来を見ることができるだろう。
 もうすぐ参議院議員選挙がある。各政党、政治家が公約を口にするだろう。誰が見たくないものを見ているのか、誰が見たくないものから目をそらしているのか、そうしたことも気になっている。

連載15(2022.6.7)

ガソリンのように電気を買う時代は来るのか?

 同じエネルギーであっても、ガソリンと電気には大きな違いがある。いや、自動車の燃料かどうか、という話ではない。EVだってあるしね。
 違いというのは、市場に直接連動しているかどうか、ということだ。ガソリン価格は市況によって変動している。その点、電気はあまり変動していない。
 そういうと、「いや、最近は値上がりしているじゃないか」って言われるかもしれない。でも、そうではない。
 電気の市場価格(日本卸電力取引所=JEPXのスポット価格)は毎日30分単位で価格が異なっている。けれどもほとんどの小売電気事業者は電気を決まった価格で販売している。市場の電気が50円/kWhになっても、それを仕入れて30円/kWhで売らなきゃならない、ということだ。
 たぶん、ガソリンはそんな売り方はしていないはずだ。

 ここにきて、市場連動型の電気料金が注目されている。新電力の多くは、これまでの価格で電気を売ることはできないし、次の夏、その先の冬の価格高騰が予想されるため、そもそも決まった価格で電気を売ることにはリスクがありすぎる。したがって、リスクは需要家にもってもらおう、ということなのだ。とはいえ、市場連動を打ち出すのも勇気がいる。
 1年前の価格高騰のときは、市場連動型の電気料金メニューにしていた需要家は急激な電気料金の上昇に悲鳴をあげていた。他方、固定料金のメニューで提供していた小売り電気事業者は逆ザヤに悲鳴をあげていた。
 2年目ともなれば、今までのような電気の売り方ができないということが自明となってくる。そのため、新電力が行っているのは、優良な顧客以外は減らしていく、といったことだったりもする。
 結局、新電力にとって、電気を供給しつづける料金メニューは今のところ市場連動型しかないが、他方で冬には従来の4倍にもなるような電気料金を請求することにもなり、社会問題の矢面に立たされかねない。また、そもそも市場連動型の方が年間を通じて需要家にメリットがあるということを説明するのはたやすいことではない。
 こうした中、中部電力ミライズや日本テクノは市場連動型の法人向けメニューの提供を開始した。というか、筆者が所属するafterFITも開始している。とりあえず、問合せはまあまあ来ているが、契約者に対しては、最初の夏の高騰時の顧客への説明についての準備は必要だ。

 ただ、そもそもの話でいえば、小売価格が卸市場の価格の変動に影響されるのは、ガソリンも玉ねぎも小麦も同じ話だ。電気の場合、市場のボラティリティがやたらと高いということはあるとしても。それでも、長期的に見れば、小売電気事業者がリスクをとって単価を固定するよりも、需要家の電気代の総額は市場連動の方が安くなるはずだ。
 おそらく、実態としては、まだ市場連動の方が高い可能性がある。小売電気事業者はまだまだリスクを低く見積もりすぎているか、大幅な値上げができていないか、たぶんその両方だ。
 そうだとしても、1年後には生きのこった小売電気事業者は市場連動か割高の単価固定のメニューに分かれているだろう。発電所を確保している小売り電気事業者だけが例外的に、既存顧客に安定した料金で電気を販売することができるだろうが、すぐに顧客を増やすということはしないだろう。

 あらためて、需要家が考えるべきは、ガソリンのように電気を買うという感覚だ。安い電気を使い、高いときは節約する。それだけのことだが、これからの社会においては必要なことだろう。
 小売電気事業者に求められるのは、需要家が上手に電気を使うことをサポートすることだ。そうした取組みが、持続可能な事業になる。電気の使い方だけではなく、リスクの低減のしかたなど、やるべきことは多い。そうした創意工夫が、中長期的には競争力となっていく。

 それに、ガソリンのように電気を買うということは、悪い事ばかりではない。プリペイド型の料金メニューがまさにそうなのだが、これについてはまた次回。

連載14(2022.5.25)

LPガスから撤退する東京ガスと事業ドメイン

 2022年4月27日、東京ガスがLPガス事業を岩谷産業に譲渡することが発表された。LPガス事業から撤退するということである。選択と集中という文脈でいえば、納得できるものだ。東京ガスという会社にとっては、LPガス事業は相対的に小さなものだった。同時に、カーボンニュートラルを目指していく上で、重荷になることは予想できた。ただし、これがただちにLPガス事業そのものに将来性がないということにはつながらない。また、既存のLPガス事業者にとっては、住み分けができるいい機会かもしれない。それは、ガスの種類というよりも、事業ドメインという文脈で考えることができる。

 東京ガスは日本最大手の都市ガス会社である。東京ガスに限らず、大手都市ガス会社にとって、2050年の脱炭素というのは、遠くて困難なテーマだ。とりあえず、メタネーションと再エネ事業でカーボンニュートラルを実現していこうというのが、現在公表されている長期ビジョンだ。
 だが、ここには、メタネーションという、まだ確立されていない技術に未来をゆだねなくてはいけないという危うさがある。
 おそらく、東京ガスの本音は違うのではないだろうか。

 東京ガスの事業は、LNG基地と導管というインフラを中心とした、都市ガスの垂直一貫型の事業者だ。ただし導管事業は2022年4月に分離され、別会社となった。とはいえ、多くの電力会社と同じく、上流と下流を持つ会社であることにはかわりない。
 事業ドメインは、インフラ事業者というものであり、ある程度は「エネルギーの安定供給」が会社としてのミッションということになる。
 ライフバルという一般消費者の窓口となる事業との連携もあるとはいえ、お客様との距離の近さはLPガス事業者ほど近いわけではない。それでも旧一般電気事業者よりは近いことが、電気事業への参入で一定の成果を出したことにつながっている。

 そのように考えていくと、エネルギーインフラの会社としての東京ガスは、供給するエネルギーを都市ガスにこだわる必要はない。とはいえ、自分たちでなくても支えられるインフラについては、こだわる必要はない。そうした文脈において、東京ガスにとってLPガス市場のような優位性がないところで戦う必要はない。重厚長大なインフラをかかえつつ、次のインフラにシフトしていく、というのが本音なのではないだろうか。そう考えると、2050年の東京ガスは再生可能エネルギーを供給するインフラを担う企業になっているというのが、あるべき目標なのではないだろうか。とはいえ、都市ガス事業をやめてしまうということについてコミットする必要はなく、重要なオプションとして残しつつ、対外的にはガス会社であることを示している、ということではないか。

 インフラ会社にとって、小売部門はなかなか力を入れにくい分野だ。その点で注目しているのが、TGオクトパスだ。
 オクトパスエネルギーは英国のエネルギー会社で、再エネの供給と柔軟な料金システムを武器に急成長した会社だ。同社が東京ガスと合弁事業を開始したのが、TGオクトパスであり、小売りはオクトパスエナジーのブランド名で展開している。
 まだまだ契約数はすくないが、通常の電気よりも実質再エネ電気の方が安いという驚くべき料金メニューとなっている。
 直近、電力市場の高騰から、事業を拡大するフェーズにはないが、価格が落ち着いてくれば、攻勢に出るだろう。そこで英国での経験が生きてくるはずだ。すなわち、市場価格のボラティリティに対応した料金プランの設計などである。
 こうした優位性をもって、オクトパスのブランドで全国展開をするのであれば、東京ガスは小売りを切り離して、エネルギーの供給に注力することができるだろう。あくまで筆者の感覚的な予想でしかないが、10年後には東京ガスの小売部門はTGオクトパスに吸収されているのではないだろうか。一方、東京ガスは再エネの供給を全国展開しているのではないだろうか。こうしたとき、小売部門の強さが求められるLPガス事業は、手放してしまうのが合理的だ。

 こういった状況になれば、LPガス事業者にとって、TGオクトパスは競争相手なのか提携先なのか、どちらかとなってくるはずだ。TGオクトパスの小売りはWebが中心になると予想されるので、対面営業の部分をLPガス事業者が担うということもあるだろう。

 大阪ガスはともかく、東邦ガスを含めた他の都市ガス会社がLPガス事業を手放すことは考えにくい。地域密着という優位性を手放すことはないということだ。また、そのことが事業ドメインを規定する。
 東京ガスのLPガス事業からの撤退は、おそらく自社の事業ドメインの再定義からくることで、そのための選択と集中だろう。
 カーボンニュートラルという将来像は、エネルギー事業者に対して事業ドメインの見直しを迫っているともいえる。そしてそのことは、他のエネルギー事業者も同様だろう。

連載13(2022.5.11)

円安の時代とイノベーションの不在

 今年に入ってから、いろいろなものの値上がりが続いている。個人的には、駄菓子の「うまい棒」が20年目にして10円から12円に値上げされたというのが印象的だ。「きのこの山」も「たけのこの里」も値上げされた。ビールも値上げされるし、カップラーメンも。
 というか、本当にいろいろなものが値上げされている。とはいえ、エネルギー業界においては、ずっと前から値上げが始まっていたわけだが。というか、エネルギーに関して言えば、もう安い時代は終わったと考えるべきだ。

 値上げの理由はさまざまだ。もちろん、ロシアによるウクライナ侵攻は大きな理由の1つとなっている。だが、ここで考えたいのは、円安という要因だ。そこには、日本社会の構造的な問題がある。
 円安の理由は、米国のFRBが利上げする一方で、日本銀行が公定歩合の利率を下げたままだからだ。ドルの方が利率が高いので、通貨としてはドルの方が価値が高いことになる。
 では、なぜ日本銀行は利率を引き上げられないのか。それも単純な理由で、景気が回復していないからだ。したがって、日本銀行は通貨を供給し続けなければならない。
 ここで気になるのは、円安であるにもかかわらず、日本では景気が回復しないということだ。製造業が海外移転してしまって、円安効果が限定されている、という見方がある。しかし、それは本質ではないだろう。むしろ、円安による物価高に、多くの人は苦しい結果となっている。

 本質的な問題は、1990年代のバブル経済の崩壊以降の、日本社会の対応の誤りだ。
 すでによく知られた話となってしまったが、90年代後半以降、OECD諸国の平均賃金は、自国通貨建てでは、日本を除くすべての国で上昇している。とりわけ鉱業が好調だった2000年代のオーストラリアの上昇は顕著で、1.7倍くらいになっている。韓国も急上昇しており、ドル換算では日本を追い越しているのではないだろうか。
 英国やドイツは上昇率が低いが、それでも1.2倍とか1.3倍といったレベルになっている。これに対し、日本はおよそ0.9倍だ。
 日本は給与が下がったというよりも、非正規雇用が拡大したといっていいだろう。実は正社員がそれほど減っているわけではないが、その正社員の給与が増えない分、女性の就業率が上昇し、これが非正規雇用の拡大につながっている。また、ロストジェネレーション(現在の40代後半から50代前半)は男性の非正規雇用も多い。
 こうしたことが、内需が拡大しない日本社会の原因となったし、したがっていくら日銀が通過を供給しても、景気は回復しない。

 だが、問題はそれだけではない。非正規雇用の拡大によって、企業がイノベーションを起こしにくくなったともいえる。不安定な雇用の従業員は企業においてイノベーションをもたらす存在にはならない。
 そうであるにもかかわらず、日本企業のほとんどは、経営を維持するために人件費を削減してきたし、その結果として、長期的にイノベーションが起こらない企業となっていったといえるだろう。したがって、付加価値の高い製品の製造ができなくなっており、円安になったとしても、利益を増やすことはできない。
 かつて経営者は、「人件費の高い日本では経営はできない」といってきたが、こうしてみると「人件費が安くても経営できない」というのが真実だったということだ。
 だとしたら、日本はこれから発展途上国(というよりも没落国か)となっていく、ということなのだろうか。

 長期的な多くの経営者の過ちが、現在の日本社会を作り出しているとしたら、すべての経営者が再び過ちを繰り返すことで、本当に日本を途上国にしてしまうだろう。
 経営者に求められるのは、高い付加価値を提供できる組織をつくることではないだろうか。そのことがまわりまわって、自社の経営環境に大きな影響を与えることになる。より豊かな日本をつくれるのかどうか、その責任を担っているということだ。

連載12(2022.4.27)

アマゾン労組と値上げできない電力

 昨年末、労働組合の脱炭素施策について取材した。対象は連合、自動車総連、全労連である。他にも電力総連と基幹労連の取材も申し込んでいたが、こちらは準備ができていないということで断られた。

 脱炭素社会への移行は、労働者にも大きく影響する。自動車がEV化していけば、下請け企業は業態を変えるか退出するしかない。エンジン開発のエンジニアは不要になる。

 こうした状況にあって、労組が求めていたことの1つは、経営者に対して早く方針を示して欲しいということ、そして政府に対してはキャッチアップのための支援をお願いしたいということだった。

 一方、社会に対しては、こんな要請をしていた。それは、消費者には労働の価値を認識して欲しいということだった。

 しばしば、Eコマースにおいて、送料無料というサービスが取り入れられている。しかし、実際には運ぶ人がおり、送料が無料というわけではない。そして、消費者がこうしたサービスを求めるほど、労働者の(ここでは運ぶ人)の価値が低く評価されることになる。そして、そのことが賃金の抑制につながっていく。

 自動車についても、安価に供給することだけではなく、労働者に適正な賃金を支払える価格ということを考えて欲しいということだ。そして、そのことが、自動車産業の労働者でも自動車が買える社会につながっていく、ということになる。

 日本はOECD諸国の中で、唯一20年以上も実質賃金が下がり続けている国である。そこには、賃金抑制によるコスト削減しかできない経営者や、組織率17%という弱体化した労組という要因もあるが、消費者の意識もまた問題だということだ。

 労組としては、賃金引上げを勝ち取れなかった近年については、忸怩たる想いがあるという。そうであっても、労組は労働者の代表として多少なりとも必要な存在でもある。

 こうした中、米国ではアマゾンが労組を結成した。経営側の圧力にもかかわらず、現場の労働者が中心となって、倉庫などにおける劣悪な労働環境を改善するため、労組を結成したということだ。
 米国では、組織率は日本よりも低く、わずか10%程度だが、その一方で7割近くが労組を必要だと考えているという。

 現在、電力の卸取引市場の価格は高値が続いている。春になって需要期は脱したため、日中こそしばしば0.01円/kWhになるが、夕方から夜間、早朝にかけて20円/kWhから30円/kWhとなっている。次の冬もまた、高騰する確率が高い。したがって、卸取引市場に依存している新電力は赤字が増えるばかりだ。しかし、大手電力(旧一般電気事業者)もまた、石炭やLNGの高騰で発電原価が上昇しており、新規受付を停止している会社もあるという状況だ。

 もちろん、仕入れ価格が上昇しているのだから、小売価格を引き上げるというのが一般的な考えだろう。実際に、ガソリンはそういった形で販売されており、政府が価格抑制のために補助金を出しているというのが現状だ。

 だが、これは例外だ。日本社会においては、なるべく値上げを回避しようとし、営業努力をするという言い方がなされる。まして、小売電気事業の場合、およそ700社による過当競争となっており、簡単に値上げができる状況にはない。したがって、退出する事業者が出てくる。

 ここで立ち止まって考えたいのは、値上げを最小限にしようとする努力が正しいのかどうか、ということだ。

 もちろん、消費者にとっては、安い方がいい。だが、提供する側にとっては、利益が圧迫されるだけだ。そもそも努力して下げられるものならさっさと下げて利益を増やしているはずだ。

 問題は、価格以上の価値を提供できていないというところにある。直近ではウクライナ情勢の影響があるが、本質的には、これまでのエネルギー価格が安かった。地球温暖化問題に即して言えば、CO2排出のコストを支払っていなかっただけだ。

 過当競争が起きている現在、値上げはしにくいかもしれない。しかし、値上げと市場連動価格の導入をしつつ、過当競争の嵐が去るのを待つというのがいいのではないだろうか。現在の小売電気事業は「持続可能」とはいえない。

 同時に、値上げにあたって、どのような価値を提供しているのか、そのことも問われるべきだろう。市場連動型の電気料金メニューにしてしまえば、顧客に上手な使い方を伝える必要が生じる。

 高い価値を提供し、利益を出していくことで、経済が成長するのだから。

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電力ひっ迫問題、2022年度は大丈夫なのか? 課題が山積みの電力供給計画

https://energy-shift.com/news/db465542-d3a2-4fbe-bc81-3b8f40dc85e6

省エネガイドライン改訂、注目すべきポイントと省エネの課題とは

https://energy-shift.com/news/cf2ba516-7563-46e1-8e54-bdc15b810015

連載11(2022.4.13)

エネワンでんきの設立と、エルピオの小売電気事業からの撤退

 3月はLP業界における小売電気事業という点では、2つの大きなニュースがあった。
 1つは、サイサンと中部電力ミライズによる合弁会社としてエネワンでんきの設立。そしてもう1つはエルピオの小売り電気事業の撤退だ。

 背景にあるのは、言うまでもなく電力市場価格(スポット市場のみならず、ベースロード市場や先渡し市場も含め)の高騰だ。市場に安い電気がないのであれば、電気料金を引き上げるしかない。しかし、その結果、電源を持っている大手電力(旧一般電気事業者)に対する競争力は弱まる。この断面だけを見れば、新電力と大手電力との勝負には決着がついたように見える。

 Fパワーやホープエナジーのように経営破綻した会社もあれば、ウエスト電力のように撤退する会社、あるいはネクストエナジー・ソリューションズのように事業譲渡する会社もある。また、かなり以前から、Looopやアイグリッドソリューションズ、東急パワーサプライは大手電力の資本を引き受けてきたし、中央電力やダイヤモンドパワーのようにすでに大手電力の子会社になっているケースもある。

 事業を継続していても、現段階で新規受付を停止している会社も多い。

 とはいえ、電力市場価格の高騰には複数の理由がある。老朽火力の休廃止による予備力の減少が冬期の価格急騰の要因の1つではあるが、化石燃料価格の上昇も大きな要因となっており、大手電力ですら厳しい収支となっている。

 今後も、価格は下がることは見込めず、次の冬も高騰することが予想される。小売電気事業はもはや単純に儲かる事業ではない。

 もっとも、小売電気事業者が700社以上に増加した背景には、そもそも安かったスポット価格がある。安い電気を調達してきてそこそこの価格で売れば儲かる。大手電力は採算割れの価格で市場に電気を供出してきた。そうした構造がいつまでも続くわけはなかった。

 また、大手電力の小売り部門そのものも、実は危機的な状況にあった。とりわけ東京電力エナジーパートナーは3割も顧客を減らしていた。規制価格という面もあるが、何より一般消費者向けの営業拠点がなく、顧客接点に乏しいため、サービスの多様化すらできなかった。

 そうした見方からすると、エネワンでんきの設立は、今後の業界再編のモデルになりそうだ。

 サイサンにとっては、小売電気事業が採算がとれない重荷になっていたのではないだろうか。とはいえ、簡単にエネワンブランドを外せない。一方、中部電力ミライズにとっては、顧客接点がなく、顧客サービスの多様化が難しかった。他エリアへの展開も成功しているとはいいがたい。

 こうしたことから、両社によるエネワンでんきの設立には互いにメリットが多いものなのではないだろうか。

 いずれにせよ、大手電力とガス会社との提携というのは、総合エネルギー企業に向かうという意味では合理的な判断だし、今後はLPガス会社だけではなく都市ガス会社も巻き込んだものとなっていくのではないだろうか。

 エルピオが小売電気事業から撤退するというのは、やはり小売電気事業の継続が難しいという判断による。そして、切り替え先の電力会社としてエネワンでんきを推奨している。今後、エルピオはエネワンでんきの代理店として小売電気事業にかかわっていく。

 エルピオの撤退でダメージを受けているのが、エネチェンジだ。電力切り替えのための価格比較サイトを運営しているが、業界最安値を展開してきたエルピオは同社にとって重要な顧客だった。したがって、エネチェンジは今後、売上を大きく減らすことになる。

 もっとも、価格競争ができなくなった段階で、価格比較サイトというビジネスモデルは破綻しているといえよう。

 こうした一連の出来事を通じて思うのは、エネルギー事業においても、供給側から需要側までのバリューチェーンの中できちんと付加価値を生み出して利益を出していくことの大切さだ。そして、もはやこのバリューチェーンを1社で担うことができなくなっている以上、どのような提携でバリューチェーンを組み立てなおすかが問われてくる。そうした意味において、サイサンと中部電力ミライズによるエネワンでんきは1つのモデルとなるだろう。同時に、価格比較サイトはバリューチェーンからはじき出されるのではないだろうか。

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電力大手とLPガス大手の合弁に見る、エネルギー小売事業の変化とその将来像

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電力小売事業は儲からない? 経産省で議論が進む、新電力のあり方

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