エネルギー業界ニュース

本橋恵一の「これからのエネルギー事業を考えよう」

本橋 恵一:環境エネルギージャーナリスト/コンサルタント・H Energy日本担当カン トリーマネージャー
エネルギー業界誌記者、エネルギーIoT企業マーケティング責任者などを経て、電力システムや再エネ、脱炭素のビジネスモデルなどのレポート執筆、講演などで活躍。著書に『電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本』『図解即戦力 脱炭素のビジネス戦略と技術がしっかりわかる教科書』ほか。

連載61〜連載51〜60連載41〜50連載31〜40連載30:事業の定義を変える、定義を拡張する連載29:2022年問題を振り返る連載28:ロシアによるウクライナ侵攻の憂鬱連載27:インフラを担う覚悟連載26:蓄電池事業は儲かるのか?連載25:今年のCOP27のテーマはロスダメ連載24:激変緩和の補助金支給は正しい政策なのか?連載23:「まだ早い」と思えることは「早くない」連載22:MMT(現代貨幣理論)というパラダイムシフト連載21:カーボン見える化ブーム連載11〜20連載1〜10

連載30(2023.1.23)

事業の定義を変える、定義を拡張する

 今年、ラスベガスで開催されたテック系の展示会、CES2023では、ソニーとホンダによる電気自動車(EV)が注目を集めたという。
 ホンダがEVというだけなら話題性はないが、ソニーが加わると話は変わってくる。
 ソニーは2つの点から、EVにアプローチしている。1つはセンサーであり、もう1つはエンターテインメントとしてのクルマだ。

 実は、一昨年、ソニーのEVに試乗させてもらったことがある。といっても、後ろの席にいただけだし、乗用車として登録していないので、あくまで構内を走るだけだったが。正直言えば、ゲーム機の感覚こそあったものの、すごく感心したというほどではなかった。しかし、開発担当者の話はそうではなかった。
 なぜ、ソニーがEVを試作したかといえば、将来の自動運転を見据えたセンサーの開発ということがあった。優れたセンサーを開発すれば、多くの自動車メーカーが採用してくれる。その市場をねらっていくということがある。そのために、自社でEVを開発し、まずは実証しようということだ。

 自動運転が完全なものになれば、運転の必要がなくなる。では、乗っている人は何をするかといえば、景色を見ているだけではないだろう。音楽を聴き、ゲームを楽しむ、エンターテインメントの空間をつくりだすということだ。

 ガソリン自動車・ディーゼル自動車からEVへの変化は、単にエンジンからモーターへの変化というわけではない。モーターにすることで制御がしやすくなった。自動運転に近づき、より安全性が高い自動車となっていく。
 自動車のもつエンターテインメント性も変わってくる。
 これまで、自動車は人や物をある地点から別の地点に運ぶものであり、運転が必要だった。その運転を楽しむこともある。
 しかし、自動運転車は、人を運ぶだけではなく、その時間をいかに楽しむかということも含まれてくる。楽しい時間をすごす選択肢が増えたといってもいい。
 こうしたことに加えて、蓄電設備としての活用も期待されているが、それはここではひとまず置いておく。

 今からおよそ20年前、BMWは水素エンジン自動車を開発した。燃料電池ではなく水素エンジンである。そこには、エンジンの心地よい振動とともに運転する、自動車本来の楽しみがあった。
 しかし、BMWは結局、水素エンジン自動車を主役にすることはなかった。高い燃料である水素を使ってまで、エンジンで走ろうという人はさほど多くない。それに、EVの強い加速性能の方が、ドライバーにとっては魅力的だという。
 BMWの失敗は、自動車の楽しみを狭くとらえ過ぎたことではないだろうか。ガソリン自動車の延長には未来はなかったということになる。

 ソニーがウォークマンをつくったとき、音楽の聴き方が変わった。今となっては、大きなコンポーネント型のオーディオはあまり見なくなった。オーディオメーカーも淘汰された。同じように、ガソリン自動車がEVとってかわることで、自動車の定義も変わりつつある。ソニーが作ろうとしているのは、走るウォークマンなのだから。
 固定電話が携帯電話にとってかわることで、通信事業の定義は変わった。
 衛星放送とインターネットの普及によって、地上波番組では、質の高いコンテンツよりも、人畜無害な放送を流すことが求められるようになった。
 CDはストリーミングにとってかわり、マンガ雑誌はマンガアプリになった。それでも、マンガが衰退したわけではなく、音楽はより身近なものとなった。デバイスが多様化したといえばいいのだろうか。

 脱炭素化というけれども、このことは、EVのみならず、さまざまなビジネスの定義を変えるのではないかと思っている。デジタル化に匹敵する変化だと思っていい。

連載29(2023.1.10)

2022年問題を振り返る

 あけましておめでとうございます。
 ということで、今年もエネルギー周辺について、いろいろ考えていきたいと思う。

 さて、2021-2022年問題というのが新電力界隈にあったはずなのだが、たぶんあまり知られていないだろう。そして、知られていないことが、新電力を苦境に追い込んだ原因の1つだとも思う。知られていないというより、見たくないものを見なかったということなのかもしれない。

 2021-2022年問題とは何か。これは、2021年4月以降、新電力の経営が困難に直面することになる、ということだった。
 理由は2つある。1つは、FIT(固定価格買い取り制度)の激変緩和措置の終了だ。
 2012年にスタートしたFITは、当初は電力会社が固定価格で買い取り、あとから差額が補填されていた。その差額というのは、当時はFITの電気の価値は回避可能原価、つまり再エネの発電がなければその分だけ火力発電を余分に動かすことになったときの原価だとされていたのだ。そこで、新電力はFIT電源と相対契約を結び、日中しか発電しないにせよ、安価な電源として活用することができた。このことが、太陽光発電事業者の小売り電気事業参入のきっかけとなった。しかし、2016年にFIT制度が改定され、基本的に電気は総発電事業者が買い取り、JEPX(日本卸電力取引所)を通じて小売事業者が買うことになった。したがって、電気の価格はJEPXのスポット市場の価格となる。
 一部の新電力は、「顔の見える電気」として、FIT電源との相対契約を望んだが、そこでできたのが、特定卸供給契約。送配電会社が一度買い取ったうえで、特定のFIT電源の電気を小売事業者に卸すしくみだ。しかし価格はJEPXのスポット市場価格と同じなので、小売り電気事業者にとって経済的メリットは何もない。
 とはいえ、いきなり制度を変更すると新電力の経営に支障が生じるため、5年間だけ、相対による回避可能原価での契約を延長することが可能となった。その措置が終わるのが、2021年4月だ。このときに、新電力は安価な電源を失うことになる。

 もう1つは、OCCTO(電力広域的運営推進機関)が毎年公表している電力供給計画において、2021年と2022年の予備率が低くなっていることが示されていたことだ。老朽化した火力発電所の休廃止を進めた結果なのだが、そのことは2019年ごろにはすでにわかっていたことだ。
 予備率が低いということは、想定外の厳寒や猛暑、あるいは大規模な発電所の計画外停止があれば、需給がひっ迫するということだ。つまり、新電力にとって、安価に電気を調達できる時代は終わっていたということだ。

 新電力としても言い分はあるだろう。電源開発は簡単ではなかった、燃料価格高騰など7予想外のことが起きた、など。確かに、現在のJEPXの市場価格は予想以上に高騰しているといえるだろう。その点は同情の余地がある。
 だが、それでも日本の市場は英国や米国テキサス州などと比べると、はるかに低い価格でプライスキャップがなされている。そして、このくらいのボラティリティであれば、小売り電気事業者はどうにか事業を継続できている。英国などで小売り電気事業者の経営が破綻したのは、けた違いに市場価格が高騰したからだ。
 そして、ある程度のボラティリティを要件とし、あるいは価格上昇の可能性を織り込みながら、たいがいの小売り電気事業者は、独自の料金メニュー、あるいはソリューションやサービスを提供している。市場連動料金と年間固定価格を組み合わせたプランや、プリペイド型の支払い方法、ボイラーのメンテナンスなどのサービスとのセット、集合住宅などの住民に向けた共用型の太陽光発電所であるコミュニティソーラー。省エネ家電の販売サイトをはじめとする省エネサービスなども展開している。

 一般的な製造業においては、スマイルカーブが存在する。原料の調達から製造、小売りまでのバリューチェーンにおいて、もっとも付加価値が高いのが、核心となる技術やマーケティング・企画と小売りやアフターサービスだという。両端がもちあがっていることから、スマイルカーブといわれている。
 もちろんすべてにあてはまるわけではない。かつての製造業は製造する部分の価値が高く、逆スマイルカーブだったものが、グローバル化によって製造の部分の付加価値が下がった。その点、電気事業はドメスティックであり、逆スマイルカーブのままだともいえるのかもしれない。
 その上でなお、電気事業をスマイルカーブに進化させることはできなかったのだろうか。電気を安心して使ってもらう技術の開発や企画の立案、あるいはサービスの提供などは、できなかったのだろうか。

 では、LPガス事業はどうなのだろうか。生き残るためには、将来を予測し、それに対応するためにスマイルカーブを進化させることが、これまで以上に求められるのではないだろうか。

連載28(2022.12.19)

ロシアによるウクライナ侵攻の憂鬱

 今年の漢字は「戦」だという。確かに、サッカーのワールドカップでは日本の戦いは多くの人に感動を与えたし、個人的には村神様擁する東京ヤクルトが2年連続で優勝したことがうれしかった(日本シリーズでは負けちゃったけど)。
 でも、それ以上に、ロシアのウクライナ侵攻(という戦争)は気を滅入らせるものだった。というか、打ちのめされた。ついでにいえば、防衛費の増額を進める岸田政権もどうかとは思うのだけど。それはさておいても、ウクライナ侵攻がエネルギー業界にも大きな影響を与えていることは、誰もが認めるところだろう。

 筆者は、ロシアがこれほどの戦争を引き起こすとは考えていなかった。ゲーム理論的に考えれば、戦争することは、マイナスサムゲーム、すなわち全体の利益が減少することに他ならないからだ。グローバル化した経済においては、戦争は不合理な判断だ。この戦争によって、ロシアは天然資源の売り先を失うことになった。ロシア経済は資源の輸出への依存が大きく、この戦争はロシア経済の悪化をもたらす。

 もっとも、この戦争の引き金を引いたのは、米国のバイデン政権だという可能性があるのではないか。ドイツとロシアの間の海底ガスパイプラインとして新設されたノルドストリーム2の運開に、米国は難色を示していた。というよりも、運開させなかった。ロシアとしては、気候変動対策が進み、天然ガスが売れなくなる前に、売れるものは売りたかったのだが、それができなくなったということだ。
 また、ウクライナはロシアから欧州に向けた天然ガスパイプラインの要所でもあるが、ノルドストリーム2が運開すれば、ウクライナ依存が減少する。ロシアはウクライナへのガスの通行料を支払わなくてすむようになる。
 こうしたロシアのシナリオが崩れたことが、今回の戦争の引き金の少なくともその1つになったのではないか、というのが筆者の仮説だ。

 それでも、ロシアは戦争よりも経済を優先させるべきだったと思うし、その方が合理的だ。実際に、ドイツを含めた西欧諸国は冷戦時代から、旧ソ連から天然ガスを輸入してきた。政治と経済は別のように見ることもできるし、経済の相互依存が戦争を防ぐ役割を果たしてきたのではないかとも思う。
 したがって、ドイツの天然ガスに対するロシア依存の高さを今さら批判すべきではない。

 こうした関係は、米国と中国との間にも成り立っている。クリントン政権もオバマ政権も、中国との関係は決して悪くなかった。特にオバマ政権時代に、気候変動問題の交渉が米中間で進んだ背景には、中国と米国のそれぞれの市場へのアクセスの重視があった。
 例えば、今でこそ中国は再エネ開発が盛んだし、電気自動車の生産台数も販売台数も世界トップだが、これらは米国市場にも向けられていた。米国もまた同様で、脱炭素技術や製品を中国市場に供給することが想定されていた。こうした産業をそれぞれの国で成長させるためには、気候変動枠組み条約は強いドライブとなる。
 決して政治的に仲がいいというわけではない両国だが、経済的な相互依存を高めることができた。まさにプラスサムゲームとしての経済関係である。
 こうした枠組みの中に、日本、韓国、台湾を入れておくことが、安全保障にもつながってくる。
 もっとも、現在のバイデン政権は中国と距離を置いているし、中国も習近平国家主席は態度を硬化させている。

 合理的に考えれば、戦争よりも経済の相互依存を高めつつ、緊張関係を融和していった方がいい。そうであるにもかかわらず、戦争が起きてしまったことが、筆者を憂鬱な気持ちにさせている。
 もっとも、戦争は非合理であっても起こる。というのも、戦争は国どうしで考えるとマイナスサムゲームだが、それでも利益を得る人たちがいる。それが、政治家だ。
 ロシアによる侵攻の引き金を引いたのは米国バイデン政権ではないか、という仮説を書いた。なぜバイデン政権にそうした理由があったのかといえば、強い態度をとる米国を国民に示すことで、支持率を上げようとしたのではないか、ということだ。
 こうした政府の行動は、今にはじまったことではない。息子の方のブッシュ政権は9.11同時多発テロのあと、アフガニスタン戦争を開始した。確かにこのことで国民は統合されたが、米国は多くの戦費を使い、命を落とした兵士もいる。そしてそれ以上に、9.11よりも多くの人がこの戦争で亡くなっている。そしてこの戦争の結果として、米国は何も得ることができなかった。

 米国だけではない。北朝鮮の行動もまた不合理なものだ。そして、ロシアのプーチン政権ですら、政権維持のために領土の拡大を目的とした、強いロシアを復活させるための戦争を開始した。
 そしてその延長で、日本の岸田政権による防衛費GDP2%という提案もまた、強い日本の復活が政権維持につながるという錯誤によるものなのだろう。安倍政権であれば、もう少しうまくやったかもしれない(これは非肉)が、岸田政権では、単純に米国の武器を買うということが透けて見えてしまうから、身内からも批判されてしまう。

 ここから学ぶことは、いろいろあるだろう。それこそ、何が合理的か、冷静に考える事や、経営者の保身のための経営戦略をとらないようにすること、国際社会が決して合理的な選択をしないという可能性を考えておくこと、など。来年に向けて、筆者もいろいろと考えてしまう。

連載27(2022.12.6)

インフラを担う覚悟

 太陽光発電事業の中心が、FIT(固定価格買取制度)に対応した電源開発から、PPA(電力購入契約)にシフトしつつある。とはいえ、PPAはFITのようには儲からない。ファイナンスの面でも課題が多い。しかも、太陽光発電の適地は少なくなっており、開発そのものが簡単ではなくなっている。
 それでも、PPA事業に参入する事業者は少なくない。

 とはいえ、FITで利益を上げてきた太陽光発電事業者が、PPAを担うことができるのだろうか。おそらく、ほとんどの事業者は担うことができないのではないだろうか。EPCの事業者として、あるいはO&Mの事業者として生き残ることはできるだろう。しかし、PPA事業そのものを担うことは難しい。
 実際に、FITで事業を拡大して上場も果たしてきた、ある大手再エネ企業は、現状をいえば、大手エネルギー企業が発注したPPA向けの太陽光発電所の開発に集中している。この会社はすでに、小売電気事業からも撤退しており、主体的な事業展開が難しくなっている感すらある。

 もちろん、主体的にPPA事業を展開している会社もある。成功が約束されているわけではないにせよ、この業界で今後も存在感を示していくのではないだろうか。

 今年11月に、「電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本(第7版)」を刊行した。最初の版の刊行が2008年だったから、それから14年もたつことになる。とはいえ、実は筆者の業界に対する見方は当時から変わっていない。電力・ガス業界は、儲からない事業となっていくが、それでも安心して電気やガスを使ってもらうための重要な事業であることは変わらないということだ。インフラ事業であり、はたらく人にはその誇りを持って欲しいとも書いている。
 旧一電に対して批判したいところは少なくないけれども、それでも、とりわけ現場で働く人たちのインフラを担うという気持ちはリスペクトしているし、新規参入の発電事業者や小売電気事業者の多くが至らない部分だと思う。

 PPA事業は、需要側に長期の契約を求めるが、発電側も同様で長期にわたって電気を供給し続けることが求められる。FITによる発電所のように、転売、さらには投資目的での開発などは、PPAの性格上ふさわしくない。
 PPA事業はそれほど儲かる事業ではない。もちろん、発電所を開発してSPCに売却し、一時的な利益を出すということはあるだろう。
 同時に、PPA事業は持続可能な事業でもあるべきだ。安定した収入は適切なO&Mがあってはじめて成り立つ。
 そして、現在のPPA事業の先にあるのは、10年後の2032年以降、卒FIT電源の運用というビジネスだ。卒FITの発電所はおそらく、コーポレートPPAないしユーティリティPPA(電気事業者向けPPA)として運用されるだろうし、またそうでなければ、何のために国民がFIT賦課金を支払い続けてきたのか、その意味が失われてしまう。

 持続可能なPPA事業の先にあるのは、再エネ発電所を運用するインフラ企業の姿のはずだ。

 これはLPガスに関係ない話だろうか。そうではないだろう。他のどのエネルギー会社よりも、お客様に近いところで、LPガス供給のインフラを担ってきたのが、LPガス会社なのだから。
 そう思うと、LPガス会社は新規参入のエネルギー会社に簡単に駆逐されることはないだろう。

連載26(2022.11.14)

蓄電池事業は儲かるのか?

 今年になって、注目が高まっているのが、系統用蓄電池事業である。
 送配電網に連係し、電力卸取引市場(JEPX)のスポット市場の価格差を利用して利益を出すという事業である。JEPXのスポット市場は、太陽光発電が普及したために昼間は安く、夕方は高いという傾向がある。例えば、5円/kWhの電気を11時から3時間充電し、40円/kWhの電気を17時から3時間放電したら、1kWhあたり35円の粗利となる。
 1日あたり、3000kWhの取引を行ない、1か月のうち価格差の大きい20日間運用すれば、210万円の粗利だ。年間で2520万円となる。
 では、3000kWhの蓄電容量の蓄電池を整備すると、およそ3億円から4億円だろうか。そうすると、10年から15年くらいで投資回収できることになる。

 もちろん、数字は仮定の話だ。実際に、JEPXのスポット市場のボラティリティは大きくなる傾向にある。年間の取引日数を増やせば、収益は増えるが、電池の劣化も早まるので、その見極めも重要だ。何より、JEPXのスポット市場の価格をどれだけ正確に予測し、札入れしていくかが、収益のカギとなってくる。

 系統用蓄電池については、2022年度は政府の補助金が用意され、2023年度も予測されている。補助金によって、利益が確実視されることもあるだろう。
 もちろん、補助金を否定するつもりはない。むしろ、系統用蓄電池が増加することで、太陽光発電の導入量が少しでも増え、需給ひっ迫が緩和されるのであれば、十分に社会的価値があるといえる。

 系統用蓄電池が儲かるのかどうかは、事業者の判断と能力による。適切な蓄電池を選定し、工事費用や系統連系の費用を抑制できる場所を選定すること。あるいは日々の運用でどのくらいの利益を出せるのか。そして、こうした点で自信を持っている事業者が参入している。
 北海道や九州など、再エネの導入割合が高いエリアに案件が集中している。こうしたエリアは日中のスポット市場が0.01円/kWhになることはめずらしくないし、夕方は30円/kWhから50円/kWhになることもある。北海道エリアではすでに、60件以上の案件が北海道電力ネットワークに殺到しているという。

 系統用蓄電池事業は、FIT(固定価格買取制度)による太陽光発電事業と異なり、利益が約束された事業ではない。それでも事業を進めていくというのは、チャレンジャー精神があってのことだろう。そうでなく、他社もやっているから参入した、という会社もあるかもしれないが、それでもどのような事業にすればいいのか、きちんと学び、成功してほしいと思う。また、系統用蓄電池の普及拡大は、日本における再エネのさらなる拡大と電力の安定供給に不可欠なものなので、自信を持って推進してもらいたいと思う。
 エネルギー事業のフロンティアがそこにあると思っている。

連載25(2022.11.1)

今年のCOP27のテーマはロスダメ

 11月6日から2週間かけて、エジプトで気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)が開催される。といっても、日本での報道は少ない。交渉内容は単純ではないし、あまり関心が持たれないのではないだろうか。とはいえ、日本がこれから脱炭素に向かう上で、重要な会議であることは間違いない。

 昨年、英国で開催されたCOP26は、カーボンクレジットをめぐる議論が1つの焦点となっていたので、多少なりとも関心が高かったかもしれない。日本政府は二国間クレジット制度を推進しているため、この議論にはかなり貢献したとされている。

 では今年はどうなのか。
 日本の関心が多少ともありそうなのが、グローバルストックテイクというテーマだろう。聞きなれない言葉だが、これは各国のCO2など温室効果ガスの削減目標を評価し、積み上げ、パリ協定の目標に合致しているかどうか、評価するしくみだ。結論を出すのはまだ先だが、今年6月の補助機関会合から議論がスタートしており、COPでの本格的な議論は今回が初めてとなる。
 とはいえ、結論の方向は見えていて、そもそも削減量が大幅に不足しているので、目標の上積みが求められることになるだろう。2030年以降はますます厳しい削減が求められる。
 重要なことは、こうした削減が各国の了解事項となることで、日本においても2030年以降の削減がさらに厳しいものになっていくということだ。

 今回のCOP27は、途上国での開催ということもあって、途上国関連の議論が注目されている。そのひとつが、気候変動による損失と災害(ロス&ダメージ、通称ロスダメ)だ。
 これまでの途上国に対する支援は、温室効果ガスの排出を削減していくための支援が中心だった。しかし、実際にすでに温暖化が進んでおり、大規模な台風が途上国を襲っている。それだけではなく、干ばつなども発生している。これらはひとえに、先進国が排出したCO2によるものだということだ。そのため、途上国は温室効果ガスの排出削減ではなく、すでに温暖化している気候に対する適応のための支援、そして実際に発生してしまった損失と災害に対する支援を求めている。  とはいえ、先進国も簡単に支援をコミットするわけにもいかず、合意は簡単ではないだろう。

 それでも、世界はグローバルにつながっている。途上国に対する適切な支援がなければ、先進国につながるさまざまなサプライチェーンもまた、災害による損失を受けることになりかねない。
 そうでなくとも、先進国は途上国に対し、毎年1000億ドルの資金を提供することをコミットしているにもかかわらず、いまだに達成していない。

 日本ではなかなか関心が高まらないCOP27だが、世界がつながっていることを感じるためも、先進国の責任について考えるためにも、そして我々の未来を予測するためにも、今年は関心を持って報道を注視してはいかがだろうか。

連載24(2022.10.24)

激変緩和の補助金支給は正しい政策なのか?

 今年1月から、ガソリンの急激な値上げを「緩和」するための補助金が元売りに支給されている。そのため、ガソリン価格は170円/L台にとどまっている。
 気が付くと、日本は先進国の中でもガソリンが割安な国になっている。

 値上がりしたのはガソリンだけではない。電気も都市ガスもLPガスも値上がりしている。仕入れ価格が上がるので、販売価格が上がるのはしかたがない。
 そこで、岸田政権は、電気に対して補助金を支給するという。とはいえ、値上がりしているのは都市ガスやLPガスも同じなので、そちらにも補助金という話になるのではないだろうか。
 とはいえ、具体的な支給方法が決まったわけではない。電気についても、小売電気事業者への支給であるとか、再エネ賦課金の削減だとか、託送料金の削減だとか、いろいろな案があるようだ。LPガスに支給するとしても、元売り、卸売り、小売りのどこを対象にするのか、といった議論はあるだろう。
 でも、ちょっと待って欲しい。

 ガソリンへの補助金がそもそも適切な政策だったのだろうか。確かに、ガソリンの価格は、輸送コストの上昇にもつながり、物価へと転嫁されていく。現在、さまざまなものが値上がりしている状況において、多少なりとも緩和する効果はあったのではないだろうか。
 しかし、年内だけで3兆円の政府支出となる。それ以上に、ガソリン価格値上がりを抑制することで、変わるべき既存産業の変化を遅らせることになる。脱炭素社会に向けて事業内容の変化を進めている石油産業の、その変化を遅らせてしまうということは、海外の石油産業から遅れをとることにつながってしまう。電気自動車へのシフトを進めなければいけない自動車産業も同様だ。電気代も値上がりしているとはいえ、それでも補助金がなければガソリンはそれ以上に値上がりしていたはずだ。そうだとしたら、3兆円の一部は、充電インフラの整備に使った方が効果的だったのではないかという疑問が残る。

 もちろん、物価の値上がりは生活を直撃する。だとしたら、その点を緩和するための政策を考えるべきだったのではないか。流通コストの上昇を抑制するためにはどうすればいいのか。あるいは、低所得者をいかに守っていくのか、ということも重要だろう。
 あえて燃費の悪い自動車のユーザーには、燃費のいい自動車に乗り換えてもらいたいものだ。

 電気についても同様に考えたらいい。生産コストの上昇の抑制のためにどうすればいいのか。おそらく、補助金ではなく、再エネ導入支援ということになるのではないか。
 低所得者対策としては、三段階料金となっている規制料金の、とりわけ1段目の値上げの抑制と2段目の値上げの緩和くらいでいいのではないか。電気料金が高くなれば、節電のモチベーションは高まる。そうでなくとも、今年の冬は節電ポイントという制度を導入することになっている。1割の節電は1割の値上げ抑制と等価だ。

 LPガスについても、補助金が支給される可能性はあるだろうが、そこで事業の変化を遅らせてはいけないだろう。ガスが高いからこそ、まだエコジョーズを導入していない世帯に更新をおすすめすればいい。住宅用太陽光発電や太陽熱温水器のメリットも相対的に高いものになる。また、それらは一時的な補助ではなく、お客様の光熱費を削減するストックともなる。

 欧州では、ガソリン代だけではなく、電気代やガス代も日本とは比較にならないほどの値上がりとなっている。一か月の光熱費が10万円を超すこともあるだろう。さすがに、多少なりとも価格抑制の政策はとっている。しかし、そうした中にあっても、単純に抑制するだけではなく、エネルギーの効率化を促すようなアプローチをとっている。すこしでも早く脱炭素化を実施し、あるいはEV化を進めることで、日本以上に深刻な危機を乗り切り、脱炭素社会のリーダーになろうとしているのではないか。
 そのように考えると、政府の補助金支給は、後に何も残らないということだけでも、決してほめられた政策ではないといえるだろう。

連載23(2022.10.6)

「まだ早い」と思えることは「早くない」

 筆者が都市ガス業界誌に電気事業についてのコラムを書き始めたのは、遅くとも2010年代初めだったと思う。2016年の電力小売り全面自由化はずっと先の話だった。当時、編集部からも、そこまで書いていいのか、というような見方もあると言われていた。でも、けっこう、受け入れられていたと思う。今ではすっかり、ガス事業において電気事業への取組みはあたりまえのものとなっている。

 PPAについても、今でこそあちこちで案件が立ち上がっているが、米国の再エネ事業の主流がPPAであることは、5年前には報告していた。
 今では誰も憶えていないかもしれないRPS制度の米国の状況についての記事は、90年代に書いていた、ということも思い出した。
 最近は、シェアリング型のバーチャルPPAについて話している。バーチャルPPAそのものがまだ日本で話題になったばかりなのだけれど。

 こういうことを書いて、自慢したいわけではない。先取りしすぎると、記事だろうが実業だろうが、なかなか受け入れられない。それに、エネルギーIoTの事業に関わったこともあるけれど、これは定着しなかった。このように外すこともある。

 それでも、「まだ早い」と思っていることは、たいがいは「もう早くはない」。PPAをとってみても、現状はまだ屋根上型太陽光発電が主流だ。その次に駐車場型や隣接地型がくるのだろう。オフサイトPPAはさらにその先だし、バーチャルPPAが一般化するのはあと何年も待つのではないだろうか。けれども、事業所の再エネ利用は今後、こうした形で拡大していくだろう。その間、さまざまな課題が出てきては、解決されたりされなかったりする。それは、バーチャルPPAを効果的なものにするFIPの運用だったり、蓄電池に関する技術の向上やコストダウンだったりする。

 「まだ早い」と思っているということは、準備の時間があるということだ。次にくるビジネスというのは、確実にニーズがあるから予想ができるということでもある。
 屋根上PPAだけでは事業所の再エネ需要が満たせないのであれば、いずれはオフサイトPPAが必要になる。そのニーズに応える準備をしておくということである。そうしなければ、過当競争に巻き込まれることになる。

 もちろん、市場ができていないのに、先駆的な事業に全面的にシフトしていくことはリスクが大きい。屋根上PPAをやめる必要はないということだ。
 PPAだけの話ではない。例えばDX関連も同様だろう。既存事業で確実に収益を上げつつ、次の事業を育てるということだ。「まだ早い」と思われる事業をどのように育てていくのか。情報を収集し、計画を立て、市場が追い付くのを待てばいい。
 日本の自動車業界は電気自動車について「まだ早い」と判断した結果、今ではすっかり世界の流れから取り残されている。準備すらまともにしていなかったのだ。LPガス業界が同じ轍を踏まないようにしていただきたい。
 いずれにせよ、現在の事業が永遠に続くわけでではなく、これまでがそうであったように、これからも変化していくのだから。

連載22(2022.9.20)

MMT(現代貨幣理論)というパラダイムシフト

 MMTという言葉を聞いたことがあるだろうか。「通貨を発行できる政府にとって、財政赤字は問題ではない」という考え方で知られる経済理論だ。

 日本は他の先進諸国と比較しても、財政赤字が極端に大きく、1,000兆円を超え、対GDP比では2.5倍に達する。国民1人あたりの借金は800万円を超える、と表現されている。そのため、財政の均衡が必要であり、財政赤字の状況では、緊縮財政にすべきだという意見がある。
 でも、お金は中央銀行が印刷し、それで国債を買えば、政府はいくらでも供給できるので、問題ない、ということが、MMTの考え方だ。

 財政における一般的な考え方は、行政府は税金を集め、これを予算として使っていくことになり、収支のバランスがとれていることが必要ということだ。これは、自治体の財政や通貨を発行しないEU諸国についてはあてはまることだ。
 このことは、通貨を発行する日本や米国、英国政府についても同様だと考えられてきた。通貨を過剰に発行すれば、通貨の価値が下がる。すなわちインフレが起こるため、収支のバランスをとるべきである、と。
 また、実際に通貨を発行している一部の途上国は、過剰に通貨を発行したことによって、ハイパーインフレが発生したということもある。2000年代のジンバブエにおけるハイパーインフレは、よく知られている。
 こうしたことから、日本の財政赤字が、将来のハイパーインフレにつながるのではないか、と心配する人もいる。

 中央銀行は、インフレを抑制するために、通貨の価値を守る役目があるとされている。そのための金融政策をとっている。とはいえ、日本はずっとデフレ状況にあったため、通貨供給量を増やしてきた。金利を下げた上、国債を買い入れることで、市中の通貨が増える。その結果として、デフレが抑制される。
 インフレを抑制するのであれば、金利を引き上げ、通貨の供給量を減らせばいい。通貨の希少性が高まり、価値が上がることになる。

 ところが、最近の主流の経済学では、ポール・クルーグマンなどが主張するように、景気がいいときにはマイルドなインフレになっているという。そこで、2%程度のインフレを目標として、金融政策をとっていくことが、中央銀行に求められる。実際に、日本銀行も2%のインフレを目標に、通貨供給量を増やしてきた。そして政府は国債を発行し、支出を増やしてきた。ただし、つい最近まで、デフレを脱却できなかったことは、ご存じの通りだ。

 問題は、インフレの目標を設定し、通貨供給量を増やし、国債を買い入れたにもかかわらず、それでも財政赤字の拡大を極力防ぐために、社会保障や教育などの予算が十分に確保されてはいなかったということだ。特に日本の場合、低所得者対策の不十分さと教育予算の削減が目立つ。さらに、コロナ危機にあたって、人々の暮らしを守るための予算措置が十分にとられたといは言い難い。
 MMTの通りに対応するのであれば、財政赤字を気にするのではなく、暮らしを守るために予算を執行すべきだということになる。

 財政赤字が大幅に拡大すれば、ハイパーインフレが起こるリスクが高まる、というのが従来の経済学者の考えだ。クルーグマンもこの立場をとる。
 一方、MMTはこの立場をとらない。問題なのは財政赤字ではなく、インフレが抑制できなくなることだ。そのため、MMTにおいても、財政赤字を無限に拡大することができるとはしていない。そして、インフレ抑制のために使えるのは、金利の操作や通貨供給量だけではなく、税制も含まれる。適切な税制によって、インフレが抑制されるということだ。お金があるところから税をとるというのは、そういうことだ。同時に、予算をどこに支出するかも重要だ。必要なところにお金をまわすのであれば、経済は循環する。そうでないのであれば、お金はストックされてしまう。

 よく、MMTは実証されていないからリスクがあるという言い方がなされる。これに対し、日本政府は極端な赤字財政になっても、デフレを脱却できなかったという反論がなされる。
 確かに、これまでの日本は、財政赤字を拡大したのに、極端なインフレにならなかった。現時点こそインフレだが、これは日本だけの話ではないし、欧米よりもインフレ率は低くなっている。
 ただし、日本のこれまでの財政赤字拡大の結果が、MMTの正しさを証明するのかどうかは、ちょっと別の問題だ。

 筆者の理解では、MMTというのは、経済と財政が一体となった理論だ。かつての金本位制では、ドルの価値は金の価値とリンクしていた。しかし現在はそうではない。そうであるにもかかわらず、経済理論においては、通貨の価値は絶対的なものだとされてきたのではないだろうか。だから、通貨の価値を守ろうとするし、自国の通貨が安くなることが問題だとされてしまう。財政赤字は回避されるべきものだとされてしまう。
 しかし、MMTが重視するのはそこではない。通貨の価値は相対的なものでしかなく、税制、支出とセットとなり、「豊かさを再配分する」しくみだ。
 こう考えて欲しい。日本という国の中だけを考えても、人々が豊かになれる生産力は十分にある。問題は、それがいきわたらないことだ。したがって、そこで通貨を供給し、円滑に再配分できるようにする。適切な税制の導入によって、通貨の価値を維持し(再配分のため)、必要とするところに配分されるように、予算を立案し、執行していく。
 社会福祉も教育も公共事業も必要なものに対しては「税収がないから」という言い訳をせずに、必要とする人に供給し、税収はそのしくみを維持するために後からついてくる。
 日本がMMTを実証していると限らないのは、中央銀行がいくら通貨を供給しても、財政政策がゆがんでいたため、必要なところに豊かさがまわらず、消費が喚起されなかったため、デフレが続いた結果だからだ。20年以上も名目賃金が上がらないという異常な状況にあれば、インフレなど起こりようもないし、結果としてMMTとは異なる状況を作りだしている。

 MMTがいいのは、かつての「軍事費をけずって社会保障費を」という主張をしなくてすむことだ。先に「社会保障費」を確保し、その後で問題があれば対応すればいい。
 結果として、マイルドなインフレが起こったとしよう。インフレは通貨の価値を下げることになる。でもこれは、通貨をたくさん持っている人にとって、価値がうばわれるということになり、税と同じ働きをすることになる。

 MMTにおけるパラダイムシフトは、軸足を「お金をまわす」ことではなく、「豊かさを再配分すること」に置いていることだ。通貨は主役ではない。
 現実的な話として、日本だけではなく、欧米の各国もコロナ危機で財政赤字が拡大し、今後はエネルギー価格高騰が赤字をさらに拡大させるだろう。その結果として、財政規律のあり方を見直さざるを得ないはずだ。

 エネルギー業界は目の前の脱炭素という大きな変化の中にある。しかし、経済に目を向けると、通貨や財政のあり方のパラダイムシフトも近いような気がする。

連載21(2022.9.6)

カーボン見える化ブーム

 8月31日から9月2日にかけて、幕張メッセで太陽光発電や風力発電、脱炭素経営やスマートグリッドなどをテーマとした展示会が開催された。筆者が所属するafterFITも駐車場向け太陽光発電にフォーカスして出展させていただいた。お客様には足を運んでいただき、お立ち寄りいただいたので感謝したい。

 さて、展示会は春に開催されたものと比較すると、規模はかなり小さいものとなった。さすがに出展は年に一度でいいと思っている事業者が多いのだろう。とはいえ、いくつかの発見もあった。
 なんといっても今回は、炭素の「見える化」に関する展示が多かったということはいえるだろう。4月に東証が再編され、東証一部のかわりにプライム市場となり、気候変動対策の情報公開が求められるようになったということが大きいのだろう。今回は再編後の初のEXPOとなったということになる。
 炭素の見える化といっても、ピンとこない人もいるかもしれない。どういうものかというと、会計と同じように、あるいは省エネ法対策と同じように、自社が排出するCO2を記録し、削減する努力をしていくというということだ。排出量がわからなければ、どのくらい削減したかもわからない。

 事業所から直接排出するCO2の量は、比較的わかりやすい。消費したガソリンや軽油の、都市ガスやLPガスの量は会計ともつながっている。電気については、消費電力量と契約している電力会社のCO2排出係数がわかれば、これもすぐに計算できる。
 けれども、各社が知恵をしぼっているのはそこではない。サプライチェーンと製品のライフサイクルでのCO2排出量の算定だ。これは本当に苦労している。
 例えば、サプライチェーンを担う会社からCO2排出量の情報を受け取るというケース。システムをつなげばできることだけど、サプライチェーンをになう中小企業にとって負担は大きいだろう。
 製品に対して基準となる数値を当てはめるケースもある。この場合、削減努力のインセンティブをどのようにはたらかせるのだろうか。
 もちろん、通勤や出張によるCO2の排出量の計算も必要だ。

 現実には、一部の大手企業を除けば、CO2排出に今すぐ取り組もうという経営者は少ないだろう。プライム市場に対応するといっても、最初にやることは、ガバナンス、つまり会社の組織として地球温暖化に誰が関わるのか、ということだ。
 それでも、中小企業が地球温暖化対策に取り組まなくてはいけない時代が足元にきている、ということもいえるだろう。B2B取引において、CO2排出量の開示を求められるということも、当たり前になっていくのではないだろうか。
 食品の原材料やカロリーが示されるように、CO2排出量が示される時代がくるということもあるだろう。
 一方、来場者としては、金融機関の方から相談をうけることが目立った。法人営業をしている金融パーソンは、脱炭素の相談をうけることが多くなっており、提案できる方策を探している、ということだ。やはり、経営者のマインドの方も、まだまだという面がある一方で、確実に脱炭素は高まっている、ともいえるだろう。わかっている人はわかっている、といえばいいのだろうか。

 地球温暖化対策は、グローバルな中で、複雑な状況になっている。短期的に石炭需要がふえつつも、短期的な開発が可能な米国のシェールガスを除くと、投資はむしろ再エネに向かう。ESG投資といっても、化石燃料企業が大きな収益をあげており、ESG銘柄が相対的に低い評価となってしまっているにもかかわらず、ここを乗り切ることができないと、持続可能な投資はできなくなってくる。
 足元に注意しながら、遠くを見る、そういった経営が必要にもなっているのだろう。