本橋恵一の「これからのエネルギー事業を考えよう」
本橋 恵一:環境エネルギージャーナリスト/コンサルタント・H Energy日本担当カン
トリーマネージャー
エネルギー業界誌記者、エネルギーIoT企業マーケティング責任者などを経て、電力システムや再エネ、脱炭素のビジネスモデルなどのレポート執筆、講演などで活躍。著書に『電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本』『図解即戦力 脱炭素のビジネス戦略と技術がしっかりわかる教科書』ほか。
▼連載50:日本では見殺しにされるエコキュート ▼連載49:Mobility Showは盛況だったけど ▼連載48:寂しいCEATEC2023 ▼連載47:外資系はもっと地方のDXとGXを支援してもいいのでは? ▼連載46:気候変動と電力需要 ▼連載45:脱炭素先行地域で考えたこと ▼連載44:オクトパスエナジーは何がしたいのだろうか? ▼連載43:大人の思い込みを疑え ▼連載42:地域新電力を助ける ▼連載41:脱炭素先行地域モデル事業は可能性の山 ▼連載40:市民発電所の真価 ▼連載39:岡目八目 ▼連載38:安すぎる日本のカーボンプライスと非化石証書 ▼連載37:「身を切る改革」と安売りには注意 ▼連載36:2035年60%削減のインパクト、実は66%削減なのだが ▼連載35:10月のエネルギー値上げに備える ▼連載34:WBCは、すごく良かったな、ということについて ▼連載33:送配電会社の資本分離 ▼連載32:豊田通商によるSBエナジー買収の意味 ▼連載31:電子コミックと紙というデバイス ▼連載21〜30 ▼連載11〜20 ▼連載1〜10
連載50(2023.11.21)
日本では見殺しにされるエコキュート
エコキュート(自然冷媒ヒートポンプ給湯機)は、都市ガス事業者にとっては憎むべき相手かもしれないが、LPガス事業者にとっては微妙な存在だろう。
ガス会社はこの間、エネファーム(家庭用燃料電池コジェネレーションシステム)の普及に力を入れてきたし、設置不可能な住宅にたいしては、ガス販売量が下がることを前提にエコジョーズ(潜熱回収型ガス給湯器)を販売してきた。ただ、オール電化を望む需要家に対しては、エコキュートやIHクッキングヒーターを販売することもあった。そこが微妙なところだ。
大手電力会社がこれまで普及に力を入れてきたエコキュートだが、ここにきてむしろ見殺しにされるのではないか、という雰囲気になってきている。
エコキュートのエコとは、CO2排出量の少ない原子力主体の夜間電力を使ってお湯を沸かしていることと、ヒートポンプによって投入したエネルギーの3倍以上の熱を得られるということによる。
一面では、大手電力会社が余剰の夜間電力の需要を開拓したということで、かつては電力会社の都合でもあった。それでも時間帯別料金で深夜の電気料金を安くすることができ、経済性があった。
しかし、福島第一原発事故以降、原子力発電所の再稼働はさほど進んでいない。関西電力と九州電力、そして四国電力の3社にとどまっている。これでは、深夜電力はエコとはいえなくなっている。
太陽光発電が普及拡大した現在、電気が余っていて、しかもCO2排出量が少ないのは日中だ。もちろん天気に左右されるし、雪の日は火力発電がガンガンに稼働している。
とはいえ、一般的には、JEPXのシステムプライスは日中が安い傾向にあることはまちがいない。
にもかかわらず、大手電力会社は、夜間電力が相対的に安い時間帯別電気料金をやめていない。正確には、夜間料金も上がっていて、時間帯別のメリットは少なくはなっているが、それでも夜間を安くしている。
日中を安くしようと試みているのは太陽光発電の電気が余っている九州電力くらいだ。他に中国電力の春秋限定というのもあるが。
大手電力会社にとっては、今なお、自社の発電所を稼働させるため、夜間の電力需要の方が大事なのだろうか。
もちろん、日中の電力を使った方が、エコキュートはエコになる。最近のエコキュートは日中運転もできるようになっているし、とりわけ住宅用太陽光発電を設置した住宅では、なるべく太陽光発電の電気を使うというモードになっている。
それでも、2023年度上半期は、エコキュートの出荷台数は減少している。2022年度は過去最高を示した反動だというのが、業界団体の説明だ。ZEHの普及で、市場はまだまだ拡大するという。だが、そこには前向きなメッセージは見られない。
欧米では、政府がヒートポンプ式給湯器の普及に力を入れている。ガスボイラよりも、ガス火力の電気でヒートポンプを使った方が効率的だし、しかもその電気はどんどん再エネにとってかわっているのだ。また、英国のように、いわゆる再エネ賦課金をガスの方が割高になるように設定し、電化を促進しているケースもある。
こういった欧米の傾向に対し、ダイキンなど日本企業はヒートポンプ給湯器の輸出に精力的になっている。
こうした状況を考えると、日本でももっとエコキュートを中心としたヒートポンプ給湯器の普及に力を入れてもいいように思える。業界団体は「市場はまだまだ拡大する」というのではなく、「気候変動対策として新たな市場も開拓する」くらいは言っていただきたい。さらに、エコキュートの日中運転が増えれば、再エネの出力抑制を減らしていくことができる。天気を考えずに、毎日日中運転に切り替えるだけでも、CO2排出の抑制効果がある。もちろん、取引市場で価格が安い日中の電気を、電力会社が時間帯別料金メニューで提供すれば、需要家のメリットも大きい。
日本と欧米で異なるのは、住宅の規模だ。特に集合住宅では大きなエコキュートは設置しにくい。集合住宅用のエコキュートが開発されているが、さらに低価格で小型のエコキュートの開発が求められているかもしれないし、あるいは集合住宅向けのセントラル給湯向けのエコキュートが必要かもしれない。
電気料金に補助金を出すよりも、こうした分野に補助金を出すべきではなかったかとも思う。
結局のところ、日本ではエコキュートは気候変動対策としては注目されなくなってきている。ヒートポンプ関連でいえば、電力会社がさんざん導入してきたエコアイスはどうなのだろうか、とも思う。
一方、欧米ではIHクッキングヒーターへの注目も高まっている。日本ではビルトイン式の高価な製品というイメージだが、実はカセットコンロサイズのものもあり、価格も安い。
少なくとも欧米が電化を進めようとしているときに、日本の電化製品は先行している。にもかかわらず、日本市場では力が抜けた状態だ。うっかりすると、日本の先行者利益が失われることもあるだろう。
それも結局のところ、大手電力会社がかつては自社の都合でエコキュートを普及させ、現在は自社の都合で見殺しにしている。そんな構図なのではないだろうか。
連載49(2023.11.7)
Mobility Showは盛況だったけど
前回に続いて、展示会の話。
今度は、東京ビッグサイトで開催されていた、Japan Mobility Show 2023(以下、モビリティショー)に足を運んだ。
行ったのは一般公開日で最終日でもある11月5日の日曜日。かなり盛況で、展示車の運転席に座るだけでも、長い行列ができていた。
カップルや子連れで来ている人も多かった。入場料は確か3,000円だったと思う。遊園地よりもはるかに安く、子どもも楽しめるイベントだったとは思う。
これまで、東京モーターショーという名称だったが、コロナ危機での開催中止をはさんで、名称を変更してのスタートとなった。
ひょっとしたら、平日に来たら印象は変わっていたかもしれない。どうなのだろう。それは保留事項としておこう。
その上で、ではモビリティショーが収穫の多い展示会だったかといえば、そうではないだろう。本当に申し訳ないのだけれど、自動車の未来を見ることはほとんどできなかった。
海外のメディアでも取り上げられていた、いすゞのEVバスは全体が低床となっていて、すごく乗りやすそうだったし、これは評価してもいいと思った。今の路線バスって、後部の座席がすごくのりにくいでしょ。
それと、一部の部品メーカーというのかな、そうした会社は、EV時代の生き残りをかけて、明確な方向性を打ち出していたと思う。自動車業界にあっては、パナソニックですら部品メーカーの位置にあるが、そこで示されたスマートカーのための設備は悪くなかったと思う。
あと、後述するけど、アプリケーションには可能性がある。
けれども、自動車メーカーの多くは、新しい製品というだけだったのではないか。EVであることは、いまさら売りにはならないとはいえ、その上でなお、ガソリン車でより快適な自動車を目指しているようだった。
一方、中国のBYDが大規模な出展をしていることが話題になったけれど、これも正直なところ、BYDの本気さこそわかったけれど、日本市場に対するアプローチとしては十分ではなかったかもしれない。
もっとはっきり言うと、今回の展示を通じて、未来が見えることはなかった。活況だったし、まだまだガソリン車が売れる時代なのだから、と言えばその通りなのだが。
最近、東洋経済のネット記事で、最高益を出しているトヨタ自動車が、それでも礼賛できない理由として「EV周回遅れ」であることを指摘する記事があった。
トヨタ自動車の利益というのは、残存利益であって、将来に向けての投資が必要ということなのだろう。そう思うと、今回のモビリティショーの活況もそこにかぶってくる。
世界ではEVが急速に伸びているのに、日本の自動車会社は何をやっているのか、ということにもなる。
とはいえ、では、今からEVに積極的に投資すればいいのだろうか。たぶん、それでも生き残ることができる会社には限度がある。そうであれば、ひょっとしたら自動車メーカーを辞めてしまうという判断もあるのかもしれない。
富士フイルムやTDKのように。そもそもトヨタ自動車だって、元々は織機のメーカーだった。
そして、そう言ってしまうことには、根拠がないわけではない。日本企業が提供するアプリケーションにはまだ未来があると感じたからだ。その細やかさは、ソフトウェアだろうとハードウェアだろうと、メーカーを問わずにインストールできるものであれば、いいのではないだろうか。
それは、スマートフォンというハードウェアで競争するのではなく、スマホアプリで競争するということにも似ている。
それに、そもそも、未来においては自動車というものの定義が変わるということも、考えなければならない。だからこその、モーターからモビリティへの転換だったはずなのだが。
エネルギー業界も、短期的に最高益を出している。昨年までの原油高が石油会社に大きな利益をもたらしたが、今年度上半期は旧一般電気事業者が過去最高益となっている。もちろん、旧一般電気事業者の場合、燃料費が下がる一方、6月には値上げしたというずれが、利益となっているわけだが。でも、ちょっと距離を置いてみると、それは火力発電の残存利益だともいえる。
EVになぞらえれば、洋上風力への投資を加速することが必要だろう。しかしそれだけではなく、電気事業の定義が「電気をつくって届ける事業」から「電気を安心して使ってもらえるように安定して運用する事業」に移行しつつあるのだから、提供するサービスも変わってくるはずだ。
日本の自動車業界は、優れた反面教師だといえるだろう。
連載48(2023.10.25)
寂しいCEATEC2023
先日、幕張メッセで開催されていた展示会、CEATECに足を運んだ。
CEATECは、現在は情報通信やAIなどの展示会だが、かつては家電の日本最大の展示会だった。そのころと比べると、とても寂しい展示会となっていた。
会場には、さまざまな先端技術を開発している大学の研究室やスタートアップの小さなブースが目立つ。DXを推進しようという社会の流れに応じた、多くの企業の出展もあったし、いくつかの企業の展示は、関心は主にエネルギー系ということになるけれども、多少はあったとはいえる。
それでも、来場者は多いとはいえず、専門的な展示に対しては、なかなかこちらも受け止めきれなかった。
家電の展示会だった時代は、日本の大手家電メーカーがこぞって新製品やまだそこにいたっていないコンセプトモデルを展示していた。
すごい家電が見られるということで、会場には活気があったし、幕張メッセで使われている展示会場もはるかに広かった。
未来の家電が見られる、というのはどういうことかといえば、未来の暮らしが見られる、ということだ。昔は考えられなかった暮らしが、手の届くところまで来ている、そうしたことが、展示会を活気づかせていたし、メディアももっと注目していた。
しかし、やがて家電はだんだんと未来を見せることができなくなっていった。理由はいくつかある。日本が相対的に貧しくなり、高級家電が買えなくなっていったことがあるだろう。行き過ぎたプロダクトアウトの製品が、消費者にマッチしなかったこともある。その最たるものは、HEMSだったということは、筆者自身がかかわっていたこともあり、よくわかる。
CEATECの展示で見た、最後のあだ花のようなものが、「自動洗濯もの折り畳み機」だった。たしかにシャツをたたんでくれる。でも、大きすぎる機器で、実用性はなかったし、そもそもそこまでしてシャツをたたむ必要はなかった。シャツは洗濯しなければ繰り返し着ることはできないが、たたまなくても着ることはできる。
家電は人々の暮らしに夢を見せることができなくなってしまった。同時に日本の家電メーカーは凋落し、家電メーカーとしての東芝やシャープはすでに日本の会社ではない。むしろ、日本を代表するメーカーはアイリスオーヤマなのだろう。
CEATECでは一時期、EVの展示が多かったこともある。EVというのは、電気自動車ではなく、走るスマホだと考えた方がいい。あるいは、走るプレイステーションだろうか。ソニーが考えるEVはそういうものだった。
そして現在、EVの市場に、日本車がいるべき場所はない。ソニー/ホンダをのぞけば、走るスマホを理解しなかった、内燃機関の成功体験から脱出できなかった日本の自動車会社にとって、当然の帰結である。
それはもっと言えば、日本の自動車会社は人々に夢を与えることができなくなっていった、ということだ。
さて、秋はガス機器の展示会の季節だと思う。
CEATECとは違うかもしれないが、それでも人々に豊かな暮らしを提案することができる展示会であってほしいと思う。身近な展示会だからこそ、少しでも手の届く先の未来を示すことができればいいのではないか。そんなことを思うのだ。
連載47(2023.10.11)
外資系はもっと地方のDXとGXを支援してもいいのでは?
先日、あるセミナーに参加していた。たまには、GXとDXについて、外資系企業の話をじっくり聞いてもいいのではないか、そう考えたからだ。
このセミナーで強く感じたことがいくつかある。
まず、外資系の企業が、なぜ脱炭素先行地域モデル事業に参加していかないのかなあということ。たしかに、モデル事業での事業規模は小さい。しかし、モデル事業というように、これから電力業界のプレーヤーが変化し、新しい事業モデルを模索していかなければいけないということも指摘できる。おそらく、旧一電を中心とした大手が市場を支配できるのも、長くてあと10年だろうし、発電設備もその管理も分散型になるのだから、そういった方面にもっと力を入れてもいいのではないだろうか。そしてその経験が、海外を含めた次の市場でも生かされると思うのだが、どうだろうか。
たしかに、外資系企業にとって、日本の自治体は入っていきにくいのかもしれない。しかし、地方自治体に入っていくことで、自治体にとっても、今以上に先進的なモデル事業ができるのではないだろうか。
これはDX企業には限らない。GXしか考えていないような、いくつかの外資系の太陽光発電のデベロッパーにも同じことを感じている。それはつまり、いつまでもメガソーラーを開発していればいいというわけではないだろう、ということでもある。もう少し地域の脱炭素化に貢献していただきたいし、それもまた、持続可能な企業であるためには必要だと考えるのだが。
それから、ちょっと視点がずれるのだが、環境価値をブロックチェーンで紐づけることにどのような意味があるのか、ということも考えた。こうした取り組みは、環境価値を資本主義経済における価値として定義づけるためのことでしかなく、実質的な環境保全にはあまり役立っていないのではないか、ということだ。
必要なのは、全体として温室効果ガスが削減されているということと、個々の温室効果ガス削減プロジェクト(あるいは生態系保全もそうだが)が問題ないということを認証することだ。
そもそもGXもDXも、世界の潮流を考えると避けられないことだ。20年以上前から、DXによって、電力自由化は歴史的に必然だった。気候変動対策としてのGXによって電源の分散化は不可避である。逆に言えば自由化やGXのためにDXがあるわけではなく、その逆なのだ。
そして、そのことを改めて思ったのは理由がある。2008年に「電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本」の最初の版を出したときから、これからの電気事業は「電気をつくって届ける事業」ではなく、「電力を安心して使うためにシステムを安定させる事業」なのだと考えていたからだ。ガス事業も公益事業として、同じ文脈にある。そのことは今も変わっていない。
連載46(2023.9.25)
気候変動と電力需要
気候変動問題は、脱炭素とは別の文脈で、ガス事業者への影響がある。というのも、気温が上昇するほど、暖房・給湯のガス需要が減るからだ。
そして、気候変動対策として電化が進んでいくとしたら、ガスそのものの消費量はますます減っていく。
もちろん、ガス冷房という手段もあるのだけれど。
ところで、9月18日の週、日本卸電力取引所(JEPX)のスポット市場の価格が、久々に50円/kWhとなった。この週の夕方は、新電力は50円で買った電気を35円くらいで売ることになる。もちろん、託送料なんかもかかる。
実は、昨年から、卸電力価格が急騰しないように、電力広域的運営推進機関(OCCTO)は追加の電源を募集してきた。また、政府の指導で発電会社はLNGの在庫も積み増してきた。その結果、昨年冬から一時的な急騰(スパイク)は出なくなっていた。来年度以降は容量市場によって電源が確保されているので、ますます電源の不足は起こりにくくなる。
ところが、その見込みが外れたということだ。
松尾豪氏のツイート(Xとはあえて書いてあげない)によると、火力の定期検査の影響があるようだ。確かに電源が十分にあっても、検査中は発電しない。そして、検査は基本的に、電力需要が下がる春や秋に行われている。
問題は、秋になっても気温が下がらず、電力需要が予想を超えてしまったことによるのだろう。ということは、電源を確保していても不足する可能性は小さくないし、残暑が厳しいほど、その可能性は高まる。
思い出すのは、昨年3月、季節外れの厳寒と降雪によって、東京エリアで需給がひっ迫したことだ。このときも、定期検査に入っていた火力発電所が少なくなかった。
電力需要もガス需要も気候の影響を受けるのであれば、それに応じた供給の見直しも必要となってくるだろう。今までと同じように電気やガスが使われるわけではない。
とはいえ、このように卸市場価格が高騰すると、最近注目の系統用蓄電池の事業の採算性が向上する。日本では、太陽光発電がかなりの量がこれからも導入されていくので、系統用蓄電池も相当量の導入が必要となってくる。しかし、昨年冬以降、卸市場価格の変動は小さめで推移しており、なかなか採算がとりにくいのではないかと思われていた。そこにきてのスパイクなので、それはそれで、適切な電力設備を形成していくためには必要なものなのかもしれない。
連載45(2023.9.11)
脱炭素先行地域で考えたこと
第4回脱炭素先行地域の募集が締め切られた。今回は縁あって、ある自治体の応募を少しだけお手伝いさせていただいた。そこで感じたことをいくつか。
まず、補助金を取りに行くというモチベーションをどうするのか。よく、補助金が目的化している、という批判がなされるけれど、それはちがっていると感じた。補助金をとりにいくことで、地元を変えたいという思いが強くなる、というのはある。それはけっこう大事なことだと思った。
とはいえ、補助金の先を考えるのは難しい。例えば、オフサイトPPAの場合は2MW未満という上限がある。したがって、小規模でつくるか、オンサイトPPAを選択することになる。でも、考えてみれば2MW以上であれば経済産業省の補助金があるので、最初に小さくつくって、それを発展させていけばいいことだ。という発想に立つことが大切である。
先行地域なのだから、新しいことをすることが目的となっている。モデルをつくり、それを広げていくということなのだから。
しかし、新しいことを理解することは簡単ではない。どうしても、他と似た事業に落ち着いてしまう。住宅に太陽光発電と蓄電池を設置していくことは、コストがあわなくてなかなか進まないけれど、それを補助金で進めていくというのは、理解できる。特に電力フリッカ問題があるエリアで再エネを増やすには必要かもしれない。
それはそうなのだけれど、やはり新味はないと思う。
本当なら、例えば日本ではまだないコミュニティソーラーとかどうだろうか。そのやり方は一通りではないけれども、地域のエネルギーを地域住民で使うことができる。また、そのやり方を地元の企業まで広げることもできる。
あるいは、地域独自の産業ならではの脱炭素化があると思う。ただし、地域の産業そのものも見直すことになる。例えば、酪農の場合、搾乳の時刻のシフトで、電気料金を節約できるのだが、現場はなかなか変えられない。ソーラーシェアリングでさえ、特産品を栽培する農家に理解してもらうのか簡単ではない。
それに、再エネには関心があっても、省エネ事業への関心が低いことも気になっている。公営住宅や学校の省エネ化など、経済性では合わないけれど、地域住民の福祉の面で高い価値を持つ事業だってある。
企画の作成から応募まで時間が少ないというのも感じた。でも、それは悪いことではない。一度つくってみて、再提出という形でいいのだろう。また、採択されたとしても、そのあとの方が課題は多い。地元の合意をとる時間がないまま採択されるとそうなってくる。でも、そこであらためて、地域に向き合うことになるのは、行政にとってもいい事だと思う。
そんなことを感じたけれども、当然だけれど、LPガス会社はそこに積極的に加わってほしいと思う。そうでもしないと、中央の大手企業が利権を持って行ってしまう。
そして、行政と一緒に、10年後、30年後の地域を考えながら、目の前の補助金をとっていくということになるのだろう。でも、それは自社にとっても、新しい事業を考える機会ともなる。例えば、バイオマス事業であれば、LPガスボンベの配送ネットワークを使って、バイオマス燃料の配送だってできる。
次は第5回の募集がある。地域を考えるには、本当にいい機会だと思う。LPガス会社も地域を支える会社として前向きに取り組んで欲しい。
連載44(2023.8.21)
オクトパスエナジーは何がしたいのだろうか?
最近、X(旧ツイッター)を見ていると、オクトパスエナジーの広告が目に付く(これは人によって違うと思うけど)。渋谷駅でもオクトパスエナジーの広告が目立っている。
オクトパスエナジーにすると、電気料金は少し安くなるらしい。しかも、CO2排出係数はゼロになる料金メニューの方が安い。
元々、オクトパスエナジーは英国の小売り電気事業者だ。日本進出にあたって、東京ガスとの合弁会社TGオクトパスを設立し、事業を展開している。
何と言っても、タコのキャラクターが印象的だ。個人的には、このキャラだけでも、乗り換えてもいいとは思うけれども、一般的にはそうではないだろう。
オクトパスエナジーの日本での展開に対して、日本経済新聞は、独自性が出せていない、と素っ気ない。
オクトパスエナジーは、日本で何がしたいのか、何も伝わってこないのだ。安くなるだけでは、小売電気事業としてはもはや成り立たない。再エネ主力の電力会社は他にもある。ガス会社の資本が入っているにもかかわらず、都市ガスの販売は行わない。それでは、東京ガスでの電気とガスのセット割のほうがましではないか。
まさか、サービス開始後、思うように顧客を集められなかったので、広告費を投入した、というだけではないだろう。
オクトパスエナジーの英国での強みは、クラーケンシステムにあるという触れ込みだった。これは、柔軟な料金メニューの設定ができるというもので、このシステムだけで英国外に進出している、というイメージだった。
しかし、これはおそらく、東京ガスの重大な過誤ではなかっただろうか。ちょっと調べればわかるが、オクトパスエナジーの魅力は、柔軟な料金設定などではなく、顧客にニーズにあった料金設定にある。通常の料金メニューに加えて、年間で価格を固定するメニュー、EV向け料金メニュー、再エネ100%だけではなく、ガスのカーボンをオフセットするサービス。しかも、アプリケーションでCO2排出削減を可視化できる。他にも、プリペイド型料金のように、英国では他の会社も取り入れているメニューもある。
問題はオクトパスエナジーではなく、東京ガスが「何がしたいのかわかっていない」ということだ。それがわからないまま、広告費を投入するのは、単なる無駄遣いだろう。
本来であれば、小売電気事業は(ガス事業もだが)、もっと顧客に寄り添った形で大きく変化する必要がある。そうであってもない、英国では小売り電気事業者が困難な状況に追い込まれている。そうした厳しい環境でなお、生き残ろうとしている。
こうした英国のオクトパスエナジーの経験は、都市ガス事業にも大きな示唆を与えるはずだ。極端に言えば、10年後は一般家庭向けのメインがオクトパスエナジーで、東京ガスはB2B専門の会社になっていてもおかしくないと思っていた。キャラクターにも本国の事業にもそれだけの魅力がある。
しかし、そうした期待はもう持てないのかもしれない。
最も、日本のエネルギー会社の広告を見ていると、JERAにせよJパワーにせよ、アンモニアで脱炭素を目指すのはいいけれども、約束できない未来を語っているにすぎず、目の前の顧客にどのような価値を提供してくれるのかはわからない。いや、東京ガスのメタネーションのコマーシャルですら同様だ。
実は、オクトパスエナジーだけではなく、英国でいえばOVOエナジーなどの新電力や旧一電に相当するブリティッシュガス、あるいは米国のデュークエナジーやPG&Eなどを調べたことがあった。本当に小売り事業で様々な取組をしている。その中に、日本の小売り事業が学ぶべきことや新事業のヒントはたくさんあるはずなのだが。
日本の会社は変えられないのだろうか。
連載43(2023.8.7)
大人の思い込みを疑え
暑い日が続きます。今年の7月は12万年ぶりの暑さだったとか。地球温暖化を感じないわけにはいきません。もっとも、今なお、地球が温暖化していることを信じない人や、二酸化炭素が原因ではないと主張する人がいます。これには、どうしたものかと思います。
ところで、夏といえば甲子園です。高校野球全国大会ですね。しかし、最近では、この暑さの中で試合をやることの是非が問われるようになってきました。屋外での運動は避けるべきだという気温の中で試合をすることは、もはや危険な水準だということです。
これは、その通りだと思います。もはや、健全なスポーツだとはいえなくなっています。地方予選も含めて、これから見直されるべきことでしょう。
ところで、高校野球全国大会、これまでも少しずつ変えてきたことがあります。ベンチ入りのメンバーを増やすことや、ピッチャーの連投を避けるため、大会に休養日を設定することなどです。また、延長戦になった場合は、10回からタイブレークとなります。ヘアスタイルも坊主刈りは減って、スポーツ刈りくらいにはなってきました。
それでも、まだまだ変わるべきことが十分ではないとも感じます。
高校野球は「高校」という名前があるように、学校を対象としたスポーツです。したがって、そこにはスポーツを通じた個人の育成という目的があるはずです。では、そうなっているのでしょうか。
大会として考えた場合、選手の健康管理すら十分ではないと思います。少なくとも、ピッチャーの連投はありえません。将来を考えれば、ありえないことです。ロッテで活躍する佐々木朗希選手に対し、高校の監督が地方大会における決勝での登板を回避したことは知られています。こうした対応が、現在のプロ野球での活躍につながっていると思います。
育成という視点で考えると、常に監督の指示で動くというのもどうかと思います。むしろ、選手がフィールドで判断すべき場合も多いのではないでしょうか。教育という点では、むしろ現場で判断できる選手を育てるべきでしょう。
さらに、試合に出場できない補欠という問題もあります。3年間に一度も試合に出場しないというのは、アマチュアスポーツとしてもあり得ないことだと思います。海外では、補欠メンバーによるスポーツの試合もあたりまえです。
トーナメント形式の大会も批判されています。地域の学校でリーグ戦をすればいいのではないか。結局、スポーツの楽しさは試合をするところにあります。
それに、ついでに言うとヘアスタイルも自由でいいし、ドレッドヘアや茶髪や金髪でもいいのではないでしょうか。
さらに少年野球に話を広げます。今は、ピッチャーはチェンジアップ(というか単純にゆるい球)以外の変化球は禁止です。宮本慎也杯という大会では、バントも禁止です。知り合いは、盗塁も禁止でいいといいます。野球本来の楽しさは、投げて打って走って捕るというところにあるのではないでしょうか。草野球の楽しさが少年野球には失われているというのは、よく言われることです。
青少年のスポーツにまで話を広げます。元バレーボール日本代表の益子直美は、監督やコーチが選手に怒ることを禁止すべきだといいます。
また、中学校以下では、全国大会をなくす動きもあります。
高校野球に話を戻しましょう。
本当は、全国野球大会は、甲子園球場でやる必要はなく、インターハイでいいのではないかと思っています。甲子園球場で大会を実施し、NHKによって全国放送されるというのは、高校野球を特別視しすぎだと思いますし、大人の幻想が入り込んでいるような気がします。
そして、高校野球だけがそういった特別視されることで、選手の立場に立った改革がなされていないのだとも思うのです。
その結果、選手が野球をすることをどこまで楽しんでいるのか、むしろプレッシャーの方が大きいのではないかとも感じてしまいます。
その点、全国高校女子野球の方が、選手が生き生きとしている、という話を聞いたことがあります。
ここまで、エネルギーに関係ない話をしてきました。
でも、本当はそうではないのです。経営者や管理職の思い込みが、組織の成長を阻害しているということはあるでしょう。本来の目的を見失っているということもあるかもしれません。そうした中で、時代の変化に取り残されていることもあるでしょう。
高校野球というのは、組織のマネジメントの上では、反面教師でもあると思います。
高校野球が嫌いなわけではありません。というか、野球は観るのもするのも好きです。だから、すべての高校球児が、甲子園大会も含めて、野球を楽しんでくれたらいいと思います。
連載42(2023.7.24)
地域新電力を助ける
最近、地域新電力の方々の話を聞いていて、不安に思うところがある。きれいごとだけで考えていて、本質をわかっていないのではないかということだ。
小売全面自由化以降、地域新電力はいくつも設立された。そこには、エネルギーの地産地消と地域経済の循環という理念があったし、地域に対する想いもあった。けれども、実際には、昨年までの電力市場価格高騰で経営に大きなダメージを受けた。幸い、現在は電力の市場価格が落ち着いているので、利益を出せているのではないかと思うが、将来もこうした状態が続くとは限らない。
地域新電力がダメージを受けた理由は、その多くが市場に依存していたからであり、地元の再エネといっても、FIT電源を特定卸供給という何の意味もない制度を利用して確保していたため、こちらもまた市場リスクがあった。非FITの電源や相対取引などを利用してリスクを回避できた部分は少なかった。また、相対取引やベースロード市場を利用したくても、決して安い価格ではなかった。
そこで、非FIT電源を増やすということが、地域新電力の残された選択肢ということになる。しかし、本当にそうなのだろうか。
地域新電力に求められるのは、地域の「エネルギー」を地域に供給することだけではない。そのことによって、地域にメリットをもたらす必要がある。そしてその方法は、再エネを増やすことだけではない。また、再エネの増やし方にもくふうが必要だ。
さらに、電力システムを通じて地域にメリットをもたらすためには、電力システムの将来像を描くことができなくてはいけない。柔軟性(フレキシビリティ)を提供することも考える必要があるということだ。
再エネも、自社開発だけではなく、ユーティリティPPAという方法もある。市民発電所とのPPAということもあるだろう。住宅の卒FITを集めることがすべてではない。
地域新電力に求められるのは、地域の再エネ供給だけではない。経済的メリットをもたらすのだとすれば、省エネやDR(デマンドレスポンス)も不可欠だ。とりわけ省エネでは、住宅向けであれば、断熱リフォームをはじめ、照明のLED化や古いエアコンの更新などもある。エコキュートの運用もその1つで、太陽光発電がさかんな日中の運転が望ましい。
事業所の省エネについても、やるべきことは多い。オンサイトPPAとセットで提供することも可能だろう。この場合、ピークカットは日中ではなく夕方になる。
また、電気料金も時間帯別料金にするべきだろう。地域の非FIT再エネを増やすことは簡単ではないし、相対取引やベースロード市場の利用も限界がある。ある程度、卸取引市場や特定卸供給を利用するのであれば、日中を安くし、夕方からのシフトを考える必要がある。そこで、料金にインセンティブをつけることになる。
さらに、今後はEVへのサービスも必要となる。EV充電設備の設置や運用も地域新電力の仕事ということになる。
住宅用だけではなく、事業所や公共の場所への設置も増えるだろう。
ここまで書いていくと、地域新電力がやるべきことは多い。しかし地域新電力にはそれだけの力があるかといえば、ほとんどないだろう。限られた人数で小売り電気事業を行ってきたというのが実情だからだ。
そこで、いくつかのサービスを提供するために、他の事業者と提携することになる。そうしたとき、地域のLPガス事業者が担うことができる役割は、少なくないはずだ。
共同でPPAを推進することや、住宅のリフォーム、エコキュートをはじめとする家電の省エネ化のように、住宅におじゃまして行うことは、LPガス事業者の得意とすることではないか。
現在の地域新電力は、ピンチを乗り越えてきた存在だ。とはいえ、ピンチのあとにチャンスがあるといっても、単独でそれをものにするのは容易ではない。だからこそ、LPガス事業者にとってもチャンスなのではないだろうか。
連載41(2023.7.10)
脱炭素先行地域モデル事業は可能性の山
筆者はある自治体の、脱炭素先行地域モデル事業の企画立案を支援している。そこで感じたことは、この環境省の事業は、多くの可能性があるということだ。同時に、予算措置がその可能性に対応しきれていないことも指摘できる。当たり前のことしか想定されていない予算の枠組みで、新規性のあることをしなきゃいけない。しかも、すでに第3次まで選考しており、だんだんと要求されるレベルが上がっているというのだが。
地方を脱炭素化するにあたって、その地方の状況を調べていくと、地方ごとに様々な可能性があることがわかる。
太陽光発電をとってみても、地方が抱える要件はさまざまだ。すでにメガソーラーなど大規模な設備が入っているところは、追加で入れることは簡単ではない。しかし、だからこそ蓄電池併設でさらに追加導入を目指すことができる。というのも、この追加導入こそ、全国に拡大するものだ。単なる系統用蓄電池というだけではなく、周波数の乱れに備えることもできる。
温泉があれば、地熱発電は無理でも、熱利用はできる。温度によっては冷房までできる。
工業団地全体の脱炭素化もチャレンジングだ。団地全体を対象としたシェア型PPAだって可能だろうし、団地内のマイクログリッド化も可能だ。
エネルギーだけではない。地域ごとに抱える課題だって異なる。産業が異なるし、人口構成も異なる。地方都市と集落でも異なる。交通インフラだって違うのだ。
畜産や養鶏の脱炭素化、EVバスの導入、カーボンゼロのサテライトオフィスの誘致など、いろいろ考えられる。
きちんと問題意識を持てば、これまでのFITが、地域外の投資によって再エネ設備をつくり、地域外に供給し、地域外に利益を流出させていくものだったとすれば、今やらなければいけないのは、地域内の経済循環とエネルギーの地産地消ではないか、とも考えることだろう。実質的にFITが終了し、FIPに移行したのは、そうした変化だととらえてもいいだろう。
そのはずなのだが、なぜか画期的な取組はなかなかない。むしろ、大手の事業者が地方自治体に提案し、予算獲得したあとはその事業者が事業を実施するという、FITとあまり変わらないような姿さえみえたりもする。
もちろん、自治体が中心となって脱炭素化を進めるには、人材が足りないし、アイデアも足りないということはあるのだろう。
さらに、「地域貢献」を社是としてきた旧一電もあまり協力的ではないときく。
地域貢献といっても、とりわけ地方電力会社にとって、地域の経済成長なしには自社の成長がない、ということの裏返しであるはずなのだが、その電力会社は再エネが嫌いなのでなかなか積極的になれない、というのだろうか。たしかに、供給する電力量が減る事業を支援するのは、とりわけ現場の人には心理的にも難しいものがあるのかもしれないが。
それでも、本質的にはさまざまな事業機会に国家予算が準備されており、地域を脱炭素化につくりかえることができるはずだ。同時にそれは、地域の課題解決にもつながる。
EVバスの導入は、将来の自動運転導入も視野に入れた、交通インフラの改革となるし、サテライトオフィスの誘致は若い世代に働く場所をもたらす。
農業や畜産業の脱炭素化もまた、次の世代に産業を引き継ぐことにつながる。ソーラーシェアリングは農業の高付加価値化につながるし、搾乳を日中にシフトすることは畜産業の労働環境の改善となる。
再エネ導入がエネルギーコストを下げ、マイクログリッドが末端集落のレジリエンスの強化となる。
温泉熱利用は、観光地の価値を向上させるし、その一方で自然環境の保全はエコツーリズムにつながる。
工業団地ですら、大手企業のスコープ3の対策として脱炭素化が急務だが、だからこそシェア型PPAや団地全体のエネルギーマネジメントシステムの導入など、先進的な取組が可能だ。
このように、脱炭素化はさまざまな機会につながっている。そしてその機会は、地域が抱える課題にある。
再エネの建設場所がないとか、蓄電池だけでVPPをしたいとか、誰もが考えるような施策では、モデル事業にはならないが、視野を広く持てば、いろいろなアイデアが出てくるはずだ。
本当は、旧一電も含め、地域のエネルギー会社こそ、その核心を担うべきだし、これまでのエネルギー供給事業からソリューション事業へのピポットともなるはずなのだが、どうだろうか。
連載40(2023.6.21)
市民発電所の真価
筆者がカントリーマネージャーを務める韓国企業H Energy(H Energy xyz)の日本語サイトがオープンしたので、これを契機に、日本の市民発電所について、あらためて考えてみたい。というのも、この会社が日本の市民発電所をヒントに、韓国での市民発電所を推進してきたからだ。
日本における市民発電所の歴史は20年を超える。
最初期の1つは、1990年代、当時の電力会社の再エネ余剰電力買取制度を利用した、江戸川区のお寺の屋根に設置したものだ。
この頃、大手電力会社は、屋根上に太陽光発電を設置した住宅や事業所に対し、売電価格と同じ価格で余剰電力を買電するというメニューを取り入れていた。住宅用太陽光発電の普及率は低く、日中の電力ピークが問題だった時代であり、これによってピークカットができれば、電力会社としても悪い話ではなかった。実際に、東京電力と生活クラブ生協東京および神奈川による実証では、太陽光発電の設備容量に対し、2分の1から3分の1のピークカット効果があったという。
その後、2000年には、生活クラブ生協北海道が中心となり、市民出資による風力発電所の建設も行われている。
その後、市民発電所は拡大し、RPS制度、後にはFIT制度を利用し、市民風車から草の根的な市民太陽光まで、全国で建設されるようになった。
また、多くの市民発電所が、出資者に対して配当できる事業となっていることも、特筆される。
再エネ全体でいえば、市民発電所はわずかなものでしかないが、こうした市民の取り組みが、日本の再エネ開発を切り開いてきたということは間違いない。
しかし、こうした市民発電所の運動は、再エネを増やすことにフォーカスしすぎており、再エネを使うところまでは十分にできていないということも指摘できる。
例えば、地方で再エネ発電所をつくっても、FIT制度では実質的に電気を送配電会社に売るしかできない。仮に、地域新電力が特定卸契約をしても、経済的なメリットはない。
再エネ開発が、結果として地方にいい影響をもたらすのは、簡単ではないし、むしろメガソーラーも大型風力も地元の反発が強くなってしまった。
その点では、PPAという仕組みは、地域に電力と環境価値をもたらしやすいものになるはずだが、これも大手企業が契約することが多く、実際に地元の電源として活用されるケースは少ない。
その点は韓国も同様だが、まだ再エネ普及率が低く、小売が全面自由化とはなっていないことから、かつての日本と同じように、再エネを増やすことが優先される状況だ。
H Energyは日本の市民発電所を参考に、ファンドの募集をインターネットを使って手軽にできるようなプラットフォームを構築し、協同組合方式で発電所を建設。現時点では日本円で50億円を超える出資を集め、およそ300か所に発電所を設置している。
プラットフォームでは、発電所がどのくらい発電し、利益を出しているのかも可視化できる。
韓国の場合、再エネの電気は特例として韓国電力公社に販売され、環境価値(日本の非化石証書に相当)は、RE100企業の増加に伴って高値で取引されている。
また、AIによる再エネと蓄電池の効率的な運用も、収益につながっている。
残念だが、このしくみを日本にそのまま持ってくることは難しい。すでに太陽光発電が拡大する一方、非化石証書の価格が韓国の5分の1から10分の1しかない状況では、なかなか利益を出しにくい。また、インターネットを使ったファンドの募集には、金融商品取引法の厳しい制約がある。
しかしその一方で、地域の再エネを地域の人々の出資で建設し、地域の人々にとって安定、かつ安価な電源として利用することはできるだろう。
実際に、地域新電力にとって、安定した価格で調達できる非FIT・卒FITの発電所に対するニーズは高い。
さらに、2030年のCO2排出削減目標からすれば、太陽光発電所は現状から倍増することが求められている。
現在、筆者は日本のいろいろな事業者と対話しながら、地域で経済とエネルギーを循環させるためのプラットフォームをどのようにデザインすればいいのか、考えているところだ。
もっとも、AIのシステムを利用して、アグリゲーターとして系統用蓄電池を運用していく方が、先になるかもしれない、とも少し思っている。
連載39(2023.6.8)
岡目八目
よく、ラグビー理論について話す。日本はだいたい、1つの事業機会ができると、そこに人々が群がり、スクラムのような状態になる。この時点で実は、あまり大きな事業機会にはならなくなっている。それほどパイは大きくない。あるいは、大きな勘違いがある。
スクラムからはなれてみると、ボールがどこから出てくるのかが見える。そうしたら、出てきたボールをつかみ、ゴールに向かって走っていけばいい。
エネルギー業界はまさに、こうした状況になっている。
最初は、FIT制度に基づいた、メガソーラー事業。これはまあ、けっこう大きな事業機会だった。よく、フリーランチはないっていうけれど、国がフリーランチの大放出(といっても、負担は需要家だけど)をしたおかげ。
次にスクラムができたのが、小売全面自由化。700社以上が参入し、最初期こそ利益を出してきたが、一昨年あたりから経営が困難に直面している。
現在は、PPAがスクラム状態だろうか。しかし、実際にやるとなると、思ったほど簡単ではないはずだ。
小さいけど、VPPのスクラムができたこともある。これは利益にならなかった。
あと、系統用蓄電池も同様だろうか。
電力小売りが困難に直面したのは、市場の高騰だけではなく、シンプルな電気の販売しか考えなかったことだ。せいぜい、セット販売か。電気代(電気料金ではなく)を安くする提案ができなかったことが、小売り事業の進歩を遅らせた。
PPAが簡単ではないのは、長期契約が前提になっていること。この前提を壊すか、前提にのっとって将来像を考えながら設計するか、こうしたくふうがなければ、顧客は簡単には動かない。
VPPの場合、勘違いによって利益が遠くなった。例えば、住宅用蓄電池を多数運用し、需給調整市場で利益を出せるのか。計算すればわかるが、利益は小さい。もっとも、電力市場のボラティリティは大きくなっているので、そちらは利益を出せるだろう。VPPは確実に必要な技術なので、市場があると考えたことはまちがっていない。問題は、その市場を見誤ったことだ。
系統用蓄電池の場合も、同じことがいえるだろう。
岡目八目という言葉がある。これは、囲碁において、あまり強くない人であっても、第三者であれば八目先まで見通せるというもの。つまり、当事者よりも第三者の方が、状況をよく理解しているという意味だ。
スクラムの中にいるよりも、離れて見た方が、よく見える、というのも同じことだ。
LPガス事業も同様である。スクラムの中にいると、よく見えない。誤った方向に進んでしまうかもしれない。だとしたら、当事者であっても、ときどき離れて見る必要があるのではないか。外から見たときに、誤りがないかどうか、きちんと見極めておくことが必要だ。
とはいえ、当事者がスクラムの外にずっといるわけにはいかないかもしれない。時々、外から見ながら、スクラムに戻っていくことになるのかもしれない。
連載38(2023.5.29)
安すぎる日本のカーボンプライスと非化石証書
最近、カーボンクレジットビジネスに関心が集まっている。いわゆる、CO2の排出権だ。ガス業界も無縁ではなく、クレジットでCO2排出をオフセット(相殺)したCNガスが取引されている。
それはいいのだが、基本的なことが、コンサルティング会社ですら理解されていないような気がしている。価格、しくみ、世界の情勢、こういったことが理解されていないということだ。また、そのことが、電力の非化石証書の価格にも悪影響を与えている。
現在、日本で扱われているカーボンクレジットは、海外で認証されたボランタリークレジット(VCC)と日本で認証されたJ-クレジットだ。
VCCについていえば、価格はピンキリだが、1トン-CO2あたり3ドル程度が平均だった。もっとも、昨年は値上がりしていて、10ドルくらいになっている。CO2削減の内容によっては1,000ドルを超えるものもあるという。
VCCは主に、森林によるCO2吸収や再エネ事業、省エネ事業などから発行されている。きちんと第三者認証を受けているので、CO2排出削減効果がある、とされている。また、森林由来のクレジットが多い。
市場規模は2021年には20億ドルだったが、2030年には500億ドルになる、という試算もある。
ということなのだが、VCCは問題が多い。まず、第三者認証が適切に行われているのかどうか。また、森林の場合、クレジット発行後に森林を伐採してしまうとCO2は再び排出されることになるため、継続的なモニタリングが必要だが、行われているのか。さらに言えば、生物多様性が気候変動と同様に重視されるようになっており、植林や森林管理では生態系保全が優先されるようになってきている。VCCは企業のCO2排出削減に使うことは可能だが、必ずしも高く評価されず、国のCO2排出削減目標には計上されない。今後、パリ協定と整合性のあるクレジットが求められるようになるだろう。
価格は10ドルくらいからと書いたが、VCC以外に、法令で規定されたカーボンクレジットもある。EU排出権取引制度のクレジットがよく知られているが、これは一昨年から価格が高騰しており、一時は100ユーロ/トン-CO2を超えていた。現在は80ユーロ/トン-CO2となっている。ほかの国でも価格は上昇しており、ニュージーランドのクレジットは昨年は85NZドル/トン-CO2を超えており、現在でも50NZドル/トン-CO2程度、日本円で4,250円/トン-CO2だ。
日本では、花王などいくつかの会社が、インターナルカーボンプライシングという制度を導入している。CO2に値段をつけることで、その価格以下であればCO2排出削減の投資をするという判断ができるしくみだ。価格は1万円/トン-CO2を超えている。
前述のJ-クレジットも、価格が上昇しており、3,000円/トン-CO2から1万円/トン-CO2のものもある。
今後、CO2排出削減の目標が引き上げられて行けば、省エネによるクレジットの発行のベースラインも変わってくる。再エネの普及により、電力のCO2排出原単位が下がってくれば、再エネでオフセットできるCO2排出量も少なくなる。森林のクレジット認証は厳しくなるだろう。
パリ協定でのクレジット制度の詳細設計ができれば、VCCはその制度に近づくだろう。
その結果、カーボンクレジットの価格は上昇することが予想される。EUの炭素国境調整が導入されれば、EUのクレジット価格に近づくことも予想される。CO2排出削減をどこで実施しても地球への影響が同等であれば、クレジット価格も収れんしていく。
2030年にはクレジット価格は1万円/CO2-トンが平均価格になっていてもおかしくない。
このことは、電力の非化石証書とも関係してくる。
日本では現在、1円/kWh以下で落札されている。FIT非化石証書で0.4円/kWh、非FIT非化石証書は0.6円/kWhだ。
これは自然エネルギー財団の調査では、米国のREC(電力の環境価値)に近い水準だという。しかし、これもまた、ボランタリーRECの水準に近いということであり、法令に基づくRECは高いときには6セント/kWhになることもある。
実は、カーボンクレジットの価格を1万円/トン-CO2とすると、非化石証書は6円/kWhくらいになる。
仮に、2030年にカーボンクレジットが1万円/CO2-トン、非化石証書が6円/kWhになるとすると、その時点でCNLPガスやCN都市ガス、再エネなどのビジネス環境が大きく変化することになる。どのように変化するのか、そのシナリオを考えておくことが必要だ。
連載37(2023.5.10)
「身を切る改革」と安売りには注意
4月の重要なイベントは、統一地方選挙だった、はずだ。
はずだ、というのは、重要さがさほど認識されておらず、投票率が低かったこと。メディアの注目度も高いとはいえなかった。
もっとも、近年の日本では国政選挙ですらマスメディアはあまり報道しなくなっているのではないだろうか。
こうした中にあって、関西圏を中心に、「身を切る改革」を主張する政党が議席を増やした。政治的なイデオロギーはさておいても、「身を切る改革」ということには、違和感がある。というのも、そうした改革そのものが、国民に何のメリットももたらさないばかりか、弊害が大きいということだからだ。
「身を切る改革」の中身といえば、議員定数の削減と議員報酬の削減だ。それで、行政の支出は確かに減る。減った分が住民に還元されるのであれば、悪い話ではないように思える。
でも、本当にそうなのだろうか。
日本の政治家は、概して政策立案能力が低いのではないだろうか。とはいっても、これは個人の資質だけの問題ではない。というのも、現実の社会が抱える問題は複雑化しており、一人の政治家の手におえるものではない。そのため、政治家というのは、議員をフロントマンとしたチームでなければつとまらない。
実際に米国上院議員は20名程度の政策スタッフを抱えているし、それぞれの政党ごとに政策シンクタンクも多い。
つまり、まともな政策を立案するためには、それだけのコストがかかるということだ。
議員定数の削減も、結果として少数意見を反映しにくい議会をつくることになる。多様性が求められている時代に逆行しているといっていいだろう。
そうであるにもかかわらず、「身を切る改革」が受け入れられるのは、政治に対する期待が低いからだろう。
せっかくの休日に投票所に足を運んだとしても、それだけのメリットが感じられないのであれば、誰も投票はしない。期待しないのであれば、少しでも議会に対するコストを削減して、住民へのリターンを増やしてほしいと思うのは、仕方ないのかもしれない。
とはいえ、「身を切る改革」の実行の先には、さらに期待に応えられない政治しかない。それだけ、議員の力がなくなっているのだから。
そうなると、さらに関心は低くなってしまう。まさに悪循環だ。
結局のところ、政治に対する期待値の低さと関心の低さが、「身を切る改革」につながっているといっていいだろう。
もちろん、問題はそれだけではない。名前の連呼ばかりで政策を訴える機会が少ない選挙制度というのはどうなのか。せっかくネットがあるのだから、政見放送の動画はいつでも見られるようにしてもいいのではないか。
市長選や町村会長選、市議会選や町村議会選はとりわけ選挙活動の期間が短い。それで投票先を選べるだけの時間と情報が確保されるのか。
ということで、最初の話に戻ると、重要なイベントなのに注目度が低かった統一地方選ということになる。
こうした中で、「身を切る改革」というのは、政治を安売りしていることでしかない。
安売りというのは、価格以外には何も期待されていないということだ。
確かに、中身が同じであれば、安い方がいいにきまっている。でも、それは中身が期待されていないということでもある。
何かしらのイノベーションがあって安くなるならともかく、安さだけにしかフォーカスされなければ、結果として中身が劣化していくだけだ。
政治と商売は同じではないかもしれない。でも、こと、安売りに注意が必要ということは、同じ論理といえるのではないだろうか。
連載36(2023.4.27)
2035年60%削減のインパクト、実は66%削減なのだが
G7環境省会合で焦点となったのは、石炭火力の扱いやCO2など温室効果ガスの排出削減目標など、気候変動問題だった。
なんとなく、日本は石炭火力の存続を認めてもらって、花を持たせてもらったように見えるかもしれないが、そもそも温室効果ガスの排出削減目標がかなり厳しいものになっているので、厳しい対策が求められるようになった。
さらに、石炭にとどまらず、化石燃料全体の段階的削減でも合意した。
13年後の2035年は、化石燃料ビジネスはより厳しい立場に立たされることになる。
2035年60%削減というのは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次報告書に基づく数字だ。このくらい削減しないと、2050年カーボンゼロや1.5℃目標は達成できないということだ。
これがどのくらいのものなのか。
現在の日本のパリ協定における目標は、2030年に2013年比46%削減である。50%削減も目指すともしている。
一方、今回出てきた2035年60%削減というのは、2019年比だ。これを2013年比にすると、66%削減となる。つまり、5年間でさらに20%削減する、ということだ。
温室効果ガスの削減において、先行して進むのは、電力の分野だ。この時点で8割くらいが再エネと原子力になっているだろう。
もちろん、アンモニアや水素に対する期待もある。しかし、グレー水素やグレーアンモニアを使う限りはCO2排出削減にはならないし、2035年の段階でもグリーン水素やグリーンアンモニアはかなり高価だろう。
また、石炭火力のアンモニア混焼は、20%程度ではLNG火力よりもCO2排出が多い。アンモニアをどのくらいまで燃やせるのか、技術開発も不透明だ。
世界的には、水素の方が有力とされているし、技術開発も進んでいる。水素を燃やすガスタービンの方が現実的だ。
しかし、水素は輸送コストが高い。
また、EV化がどのくらい進展するのか、させるべきなのか、ということも改めて考えることになる。再エネの増加に対し、EVが余剰をどれだけ吸収するかが、カギとなってくる。
LPガス業界にとっても、大きなインパクトが考えられる。例えば、エコキュートが標準装備となったら、エコジョーズの存在はあやうい。せめてハイブリッド給湯器を販売していく、ということになるのだろうか。
EV化が進展すれば、ガソリンスタンドが不要になってくる。EVであれば自宅で充電できてしまう。そのとき、どのような業態転換を考えればいいのか。
2035年に2013年比66%と考えると、CO2排出を削減しにくい分野を残すしかない。セメントや航空機といった分野だろうか。2035年になってもハイブリッド自動車を販売しているとしたら、そのしわ寄せはどこかにいく。EV以外の販売を中止しても、走っている自動車が100%EV化するには時間がかかる。
13年前というと、2010年、東日本大震災が起きる前の年だ。このときに、第3次エネルギー基本計画がまとまり、原発30基増設というようなことが言われていた。
結局のところ、日本はこの13年間、再エネが増えた以外が大きな変化はなかったと思う。しかし、同じペースで考えたら、13年後には、日本は海外から大量のカーボンクレジットを買うことにもなるだろう。
現在のEUの排出権価格がおよそ1万4,000円/CO2トンといったところなので、10%削減に相当する1.4億トンも買えばそれだけで1.4兆円ということになる。2022年の貿易赤字額の5%に相当する。
13年後に向けて、我々はどのように進むのか、ちょっと考えておくことが必要だ。悪い話ばかりではない。CO2排出削減に向けて、新しい商品やサービスを販売できるのだから。
連載35(2023.4.6)
10月のエネルギー値上げに備える
4月に入って早々、10月の心配をしなきゃいけない。でも、2030年の心配をするよりは現実的に感じられるのではないだろうか。
現在、政府が補助金を支給している、ガソリン、電気、都市ガスについての激変緩和措置は、はっきり言って愚策だ。橘川武郎さんに言わせると「筋が悪い」ということになるのだけど。ガソリンスタンドの経営者にとっては、ガソリン需要を維持してくれるので、その点ではよかったと思われるかもしれないのだが。
激変緩和措置は、予定では今年の9月まで続くことになっている。電力でいえば、8月までは7円/kWhの補助が出て、9月も半額の3.5円/kWhとなる。10月以降は未定ということだが、仮に10月から補助金がなくなると、どうなるのか。
そのころまでにエネルギー価格が下落していればいいのだが、少なくとも大幅な下落は期待できないだろう。確かに、現状を見れば、一時期ほどの高騰とはなっていない。
日本の電気料金の高騰の最大の要因は石炭価格の上昇だが、これは昨年のピーク時とくらべて4月上旬には半分以下にまで下がっている。値上がりし始めた2021年秋のレベルにある。
天然ガスは昨年夏こそヨーロッパで大幅に値上がりし、極端な高騰となったものの、暖冬の影響で冬期はさほど値上がりせず、春は非需要期なことから、比較的安くなっている。また、米国産シェールガスがかなり安いということも影響している。
夏は再び電力需要が伸びる。気候変動の影響で猛暑となる可能性は高いため、再び石炭や天然ガス価格が上昇する可能性も高い。
秋となって再び非需要期となれば、エネルギー価格は落ち着くのではないだろうか。しかし問題は、その次の冬だ。
欧州は一般的に冬が天然ガスの需要期だ。仮にロシアによるウクライナ侵攻が解決したとしても、ロシアから欧州への天然ガス供給が拡大する見込みはほとんどない。暖冬にでもならなければ、天然ガスの価格が急騰する可能性は高い。
日本の場合、長期契約によるLNGが圧倒的に多いため、欧州ほど高騰することはないだろうが、やはり高値となるだろう。とはいえ、今年の冬同様に在庫を積み増すことになるので、価格変動は少なく、ただし平均的に高値、ということになるのではないか。
一方、石炭は新興国の需要増の影響で、再び価格が上昇する可能性がある。
何が言いたいかといえば、激変緩和措置が終了するとすぐに冬の需要期を迎えることになり、需要家は急激な価格上昇にさらされるということだ。
そもそも、なぜ激変緩和措置の補助が愚策なのか。それは、せっかくの補助が将来の構造変化への対応の妨げになっているからだ。
ガソリンの価格高騰の抑制のために補助金を出すよりも、EVや充電設備への補助金の方が、結果として後に残る。電気料金よりも断熱改修などの補助をすれば、CO2排出量が減少する。けれども、こうした対応を取らなかったことによって、EV化やCO2排出削減に対し、日本社会が遅れてしまうことになる。
確かに、ガソリン代や電気代、ガス代の値上げが抑制されれば、消費者にとってはありがたい。でも、それは一時的なものだ。
長期的にエネルギー安全保障を考えながら、安定した供給が可能な体制、それに資する設備の更新、気候変動対策、こうしたことに対応することが優先なのではないか。
民間においても、これは同様で、こうした視点を持って事業に関わっていくことが必要なのではないか。補助金を受け取ったとしても、長期的な事業戦略は今の政府に付き合う必要はないのではないか。そうしなければ、事業そのものが時代に取り残されかねない。
今から今年10月のことを考えておくのは、2030年に、さらに2050年につながっていくことだ
連載34(2023.3.24)
WBCは、すごく良かったな、ということについて
今回の第5回WBC(World Baseball Classic)は、結果としては日本チームの優勝で、けっこう日本国内は盛り上がったと思うけれど、それにもまして、いい大会というか、いいゲームだったな、と思った。たぶん、第1回から第4回までと比較しても、ちがったのではないか、というふうに思っている。
筆者がテレビで観戦したのは、準決勝のメキシコ戦と決勝のアメリカ戦のみだが、どちらも、どっちが勝ってもおかしくないいいゲームだった。野球のおもしろさを100%伝えてくれるゲームだったと思う。では、なぜそんなゲームができたのだろうか。いくつもの要因がある。
今回のWBCのMVPは大谷翔平だった。大谷のテンションの高さは半端なかった。栗山監督が言っていたけれど、大谷が所属するエンゼルスは優勝から遠く離れたところにいて、緊張するゲームがなかなかできなかった、そのフラストレーションがあったのだと思う。野球は個人競技ではないので、大谷が何勝したか、ホームランを何本打ったかもだいじだけれど、チームとして優勝を目指すことはもっと重要だ。
チームがあって大谷があるし、大谷があってチームがある、そういう姿が、見ている側にも伝わったと思う。
今回の日本チームに米国籍の大リーガーが一人参加していた。ヌートバーである。あっというまに、ペッパーミルが流行ったけど、ある意味では異文化を受け入れることに成功したとも思う。言葉の通じない中でも活躍したし、日本のファンにも強い印象を残した。
そして、ヌートバーの参加に象徴されることだけれど、今回のチームには、日本を背負うという悲壮感はなかった。むしろ、各国のスーパースターが集まったドリームゲームをするという、その楽しさがあったと思う。国別の対抗ということではなく、国別で分けたドリームチームであり、最後の場面は、エンゼルスのスタープレーヤーどうしの戦いとなったことも印象的だ。
そうした中で、みんながよく知っている選手のいるチームを応援してきた、ということが、良かったのではないだろうか。
WBCにはわりと若い選手が選出されている。ベテランに、シーズン前にベストコンディションで試合をしてもらうのは簡単ではないし、そうだとしたら、むしろ若い選手にチャンスを与えたほうがいい、というのはあると思う。それでも、第1回大会から比べると、現役大リーガーの参加は増えたとも思うけど。
それはそれとして、特に決勝戦では、日本の2年目・3年目の若いピッチャーが大リーグの強力打線を抑えたのは、なかなか痛快だったと思う。薄氷を踏むような展開ではあったけど。その痛快さもあるけれど、彼ら何年か後には大リーグで活躍していてもおかしくない。そうしたチャンスをつくる機会を、栗山監督はつくってきたのではないか、とも思う。
こうしたチームをつくってきたことには、栗山監督のマネジメントというのが評価されるべきだと思う。一流選手の集まりなので、あえて言わないけれど、察してくれるし、その上でやるべきことをやってくれる。また、それを納得させるだけの信頼もある。
ホットな大谷に対し、クールなダルビッシュをメンターとして配置したり、ヌートバーを招集して刺激を与えたりはしたけれど、それ以上細かい指示はしていないし、ゲーム中も選手起用以外は作戦らしい作戦はなかったと思う。
こうしたマネジメントのスタイルが、選手の力を最大限に引き出したのではないかと思う。
そして最後に、それぞれの選手は、優勝の二日後にはチームに戻り、シーズンの開始に備える。日本でもアメリカでも、長いシーズンが始まる。ドリームチームのことは忘れて、頭を切り替えなきゃいけない。
でも、終わったら次へ行く。こうしたことが、人を進ませるのだと思う。それがわかっているから、この一瞬が感動的だったのではないか、とも思う。
この大会で、選手たちは、見てくれた子供たちが野球をめざしてくれたらいいと話していた。確かに野球人口は減っているし、9人集まらない野球部もめずらしくない。
その理由は、子供が減っているというだけではなく、とくに少年野球や高校野球がつまらないものになっているということがあるのだと思う。アマチュアスポーツ全般に言われているのは、勝利至上主義が行き過ぎていないかどうかだ。野球に限っても、こどもがのびのびとプレーできているのかどうか。どの選手もフィールドに立つことができているのかどうか。
WBCは野球の面白さを伝えてくれたけれど、そこには、投げて、打って、走って、捕るという基本的な面白さがあった。アマチュアスポーツが、そういったことを本当に楽しめるものとなっているのか。
バント禁止の少年野球大会、監督やコーチの叱責を禁じたバレーボール大会などが登場し、高校野球でも地域のリーグ戦ができたりしている。
私たちは私たちなりのWBCをやっていく、そう思わせてくれた試合だったからこそ、多くの人が感動したのではないか、とも思う。
連載33(2023.3.7)
送配電会社の資本分離
関西電力をはじめとする、旧一般電気事業者が、送配電部門の顧客データを閲覧し、会社によっては取り戻し営業をしていたことが明らかとなった。
送配電事業は、2020年に旧一電から分社化されたが、それ以前から、中立を保つために、情報遮断を行ってきたはずだった。つまり、同じ会社であっても、送配電部門のデータについては、他の部門はアクセスできないし、人事異動も制限されているはずだった。しかし、電力会社内で同じシステムを使っていれば、情報が見えてしまう、という言い訳だったが。
この問題にたいし、政府の有識者会議は、資本分離すべきだという提言をまとめたという。
ヨーロッパでは、電力の自由化にあわせて、送配電部門は資本というか所有が分離されていった。代表的な会社が英国のナショナルグリッドだ。
一方、米国の場合、自由化されている州でも送配電部門は資本分離はされていない。そのかわり、機能分離といって。運用部門が独立している。
旧一電の資産として、もっとも大きいのは、実は送配電網だ。発電所の方が価値がありそうだが、実はそうではない。さらに、発電部門は自由化されている上、脱炭素化にともなって火力発電の価値が下がりつつある。
その上、送配電部門は規制部門であり、料金も総括原価方式が適用される。正確には、レベニューキャップという制度によって、無制限の送配電部門の投資によって価格を引き上げることには歯止めがかかるようになっている。これは、かつての旧一電が投資するほど料金を引き上げられるようになっていたことに対する反省だ。
送配電部門が資本分離されれば、旧一電は資産のもっとも大きな部分を手放すことになる。まあでも、それはたぶん、悪いことではなく、売却益は原子力発電の廃炉費用にあてればいいのではないか、とも思うわけだが。
そうはいっても、前述のように火力発電は先細りであり、小売り部門は顧客エンゲージメントが低いとなると、本当に10年後は、旧一電そのものが存在しないかもしれない。
大企業であっても、不正に対する処罰は厳しいものとなることがある。こうしたことは肝に銘じておきたい。法的な処罰のみならず、金融市場における処罰もある。いわばESGのGの部分である。
一方、今回の問題に関連して、旧一電は電気料金のうち規制料金の値上げを申請しているが、これについて政府は慎重に査定するとしている。しかし、これは問題が違うのではないか、という気がしている。
そもそも、規制料金を残すかどうか、かつてその議論がなされ、結局残ったわけだが、電気料金の価格が高騰するという状況は、当時とは異なっている。というのも、規制料金が割高だったことから、新電力に競争力が生じた。しかし現状は、電気料金が高騰しており、規制料金は逆に安い価格で残っているということになる。そのための値上げ申請である。新電力にとって、旧一電が赤字のまま規制料金で電気を供給し続けることは、双方にとってメリットがない。
また、そもそも規制料金を残すべきかどうか、前述のように環境が変わっているのだから、その点から議論すべきではないか、とも考えられる。
そこで気になるのが、三段階料金の最初の部分だ。この制度では、実質的に旧一電と新電力がいずれも赤字で供給していることになるだろう。
では、これをなくすべきなのかといえば、そうではない。そもそも、離島や過疎地域でも、電気料金が高いということはない。電力会社は赤字で供給している。離島の場合、発電原価が高いため、新電力は参入できず、旧一電の赤字での供給となる。
この赤字は、電力会社全体で負担すればいいのではないだろうか。実際に、中国電力では離島に供給するための費用を、電気料金のコスト構造の中に織り込んでいる。こうした料金については、いずれユニバーサル料金として徴収してもいい。前例がないわけではなく、NTTでも離島などの通信コストを補填するため、ユニバーサル料金を顧客から広く徴収していた。
三段階料金そのものが、元々石油ショックを契機に、省エネ促進という意味も含めて導入されている。そうであれば、このしくみを維持することに、公費を使ってもいいかもしれない。
現在、一般家庭の電気料金に対し、政府から7円/kWhの補助が出ている。しかし、これは光熱費を下げる一方で、個人の省エネのモチベーション(断熱改修や家電の買い替え、太陽光発電の設置など)をうばってしまい、国の脱炭素化を止めてしまう。同じことは、ガソリンの補助金についてもEV化の阻害として同じことが指摘できる。
だとしたら、1段目の安価な料金への補助に絞ってもよかったのではないか、と思うのだが、いかがだろうか。
連載32(2023.2.20)
豊田通商によるSBエナジー買収の意味
豊田通商が、ソフトバンクグループのSBエナジーの株式の85%を取得というニュースがあった。SBエナジーは豊田通商の子会社となる。結果的には、双方にとって悪くない取引だ。SBエナジーの社員にとっては、ショックだっただろうけど。
この取引、ソフトバンク側から見ると、1つは赤字の穴埋めのようなところがある。だが、それだけではない。ソフトバンクは電気事業に関わる子会社として、SBエナジーとSBパワーの2つがあった。先に設立されたSBエナジーは、メガソーラーなどの開発を手掛けてきた会社だ。とはいえ、日本でのFIT価格の引き下げから、日本国内での新たな開発を行わず、サウジアラビアへの進出を行った。とはいえこれは成功せず、現在はVPP事業などで次の展開をうかがってきた。
一方、SBパワーは小売り電気事業を行っている。通信会社としてのソフトバンクにとっては、電気の小売りもてがけることで、顧客接点をふやすことができる。そして、SBパワーでもVPP事業を行っている。
このように見ていくと、SBエナジーはソフトバンクグループにとって相対的に重要ではなくなってくる。
一方、豊田通商は最近ではユーラスホールディングスを完全子会社化した。
元々、ユーラスは後に豊田通商に吸収されるトーメンがかつての東京電力とともに設立した会社で、風力発電事業を中心にてがけてきた。東京電力ホールディングスが赤字となる中で、ユーラスの株式を売却せざるを得なかったとはいえるだろう。また、風力発電の開発そのものは、子会社である東京電力リニューアブルパワーや中部電力との合弁会社であるJERAでも取り組んでおり、その意味でもユーラスは不要となっていた。
ユーラスは実質的には、トーメンの風力発電事業のチームだったので、豊田通商に戻るということになる。豊田通商自身も風力発電事業などの再エネを手掛けてきた経緯もある。
これにSBエナジーを加えることで、豊田通商は再エネ開発事業者として日本有数の企業となる。
さらに、豊田通商は自社に手薄だったSBエナジーのVPP事業も組み入れることができる。トヨタグループとして、EVを活用したエネルギーシステムの構築が期待される。
さて、筆者が気になるのは、両者の10年後の姿だ。
およそ10年前、ソフトバンクはSBエナジーを設立した。孫正義は再エネの開発を通じて日本の電気事業の独占に風穴を空けたかった。同時に、FITというビジネスチャンスをものにしたかった。その後、SBエナジーの子会社としてSBパワーを設立したわけだ。しかし、今では孫はエネルギー事業、というよりも日本での事業そのものに関心を失っているように思える。こうした中で、ソフトバンクグループは日本で何を生み出せるのだろうか。
10年後には、何が残っているのだろうか。
では、豊田通商はどうなのだろうか。再エネの主戦場は、これから洋上風力と系統運用技術にうつっていく。これらはまだ豊田通商として十分にできているものではない。では、今までのようなシンプルな再エネ開発事業はどこまでできるのか。まさかトヨタ自動車向けのPPAで終わるとも思えない。
10年後に向けて、現在の経営資源をどのように使っていくのか、気になるところだ。
本当に今回の取引は悪くないと思う。けれども、ではそれで何をするのか。そのことをもっと伝えていくべきではないだろうか。
連載31(2023.2.6)
電子コミックと紙というデバイス
前回はガソリン自動車から電気自動車に変わっていく中で、事業の定義が変わっていくことを書いた。今回は、別のケースを紹介したい。
マンガの市場は現在、6,000億円を超えている。「鬼滅の刃」のようなヒット作がなかった2022年こそ前年比でマイナスになっているものの、それまでは上昇傾向にあった。
とはいえ、出版不況というのが通常の状態にあるし、かつては発行部数が600万部に達していた「週刊少年ジャンプ」は、現在128万部とのこと。「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」は100万部に達していない。
多分、気づいていると思うが、マンガ市場の拡大をけん引しているのは、電子コミックだ。これが登場するまでの2000年代は市場が縮小傾向にあった。
とはいえ、紙のコミックの市場の方がまだ大きい。電子コミックが紙を維持している、という側面もありそうだ。
これを、出版業が紙から電子書籍に変わっていくというふうに考えると、本質を見誤る。それでも紙が残る、といえばそうなのだが、そこには理由があるということが、わからなくなってしまう。
どういうことかといえば、出版物をひとくくりにして見てしまうということが問題だ。
書店に行くと、たくさんの本が並べられている。では、消費者にとって、本はすべて同じ役割を持っているものなのだろうか。そうではないだろう。形態が同じであっても、使われ方は異なっている。
マンガや文芸書は楽しませてくれる時間を与えてくれる。けれども地図や料理書は実用的な目的があるし、絵本は幼児にとってはおもちゃでもある。
つまり、形は同じであっても、用途が異なる商品ということだ。
何が言いたいのかというと、本というものは、ROM(Read Only Memory)のデバイスであるということだ。そのように見ていくと、出版がどうなっていくのか、違った見方ができる。
書店というのは、本を売っているのではなく、ROMにいろいろなコンテンツを載せて売っていると考えてみたらどうだろうか。そうすると、紙に適したコンテンツと電子化が適したコンテンツがあることがわかる。すでに百科事典は印刷されることがほとんどなくなってきた。実用的なコンテンツは、紙よりもスマホやタブレットの方が適しているのだろう。
その一方で、マンガでは紙がある程度残っているのは、紙というデバイスがおちついて読むことに適しているからだろう。電子コミックでたいていの作品を読んだとしても、じっくり読みたい作品はコミックスを買う、という消費者の行動が、コミック市場を支えているのだと思う。
そうは言っても、紙というデバイスでしかコンテンツを提供できない書店の経営は苦しくなる一方だし、生き残るためには紙でしか提供できないコンテンツの専門店化か大規模化するしかない。それができない街中の書店は消えるか、あるいはコンビニエンス化するしかないだろう。
一方、書籍の印刷は市場がさらに縮小していく。印刷業から、版下作成の業務が縮小し、さらに印刷そのものが減少していっては、経営は成り立たない。凸版印刷も大日本印刷も、すでに印刷会社というものからいかに脱出しようとしているのか、その苦労の連続のようだ。
にもかかわらず、マンガ市場は好調だ。何が言いたいのかといえば、人はあいかわらずコンテンツを求めている。ただし、デバイスが変化しているだけだ。そして、新しいデバイスに対応できない事業は、サプライチェーンから外されていく。書店や印刷会社は不要になっていく。
自動車業界で起きていることは、特殊なことではなく、かつて出版業界で起こってきたことなのだ