2000年からはサバイバル戦が続く
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――太陽ガスさんの概要から教えてください。
当社は関連会社である小平(株)の小売部門と近隣のLPガス会社とで、1975年(昭和50年)に協業組合を結成したことがスタートです。日置市に住宅団地が造成されることになり、そこへの簡易ガス供給と販売店さんの商権を守ることが目的でした。当初から地域のLPガス会社という形でしたが、そのような成り立ちもあり、協業組合という組織で設立した会社を10年余をかけて株式会社に移行させたわけです。
――入社してから、どのような仕事をされてきましたか。
子供の頃から職場と住居が一緒だったので、自分の家の仕事がどういうものかなんとなくわかっていました。しかし兄がいましたから、自分が家業を継ぐという考えはありませんでした。東京の大学に進学し、もっぱら映画の仕事に没頭していましたし、卒業後も東京に残っていました。
映画の世界で生きていきたかったのですが、とにかく食えない。もうこれはダメかな、と思っているときに兄から、戻ってきて仕事を手伝わないかと言われました。太陽ガスも大きくなって、人も必要だったのでしょう。悩みましたが、いったん人生をリセットしようと鹿児島に戻り、太陽ガスに入社しました。最初は配送のお手伝い程度。そして工事や営業など、現場の仕事を覚えていきました。
私が鹿児島に戻った1991年(平成3年)、平成の初め頃はどんどん家が建ち、顧客も増えるし本当に忙しい時期でした。ところが私が社長(協業組合理事長)になった2000年(平成12年)頃から、太陽ガスの置かれている環境は大きく変化してきました。人口減少も始まってきました。オール電化攻勢はその少し後になりますが、とにかくこのままだといずれお客さんがいなくなると思えるような状態になってきたのです。
私は「10年後は顧客が30%程度減少するのではないか」という想定をたて、そうならないためにどうすべきかを具体的に考え、営業方針をたてました。まずはガスの小売りをどう維持し、伸ばしていくか、それを一生懸命追求しました。社内には「サバイバル戦」だと宣言しました。以来、新規開拓はもちろんですが、燃転などの需要開拓を徹底的にやってきたわけです。
自立した社員を育成するしくみづくり
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――タスクフォース21への参加のきっかけは?
もう10年以上前になりますが、需要開拓をいろいろ勉強している中で、燃料電池に興味を持ちました。そして、海外ではどうなっているのだろうかと、業界新聞が主催するアメリカ視察に参加しました。
その旅行では、視察で得たものも大きかったですが、一緒に旅行する同業者の知己を得たことも大変な収穫でした。八戸液化ガスの北山専務さんら、全国からさまざまな方が参加されていましたが、それらの方々と情報交換でき有意義な時間を得ました。
そのような中で、新聞社の矢部さんからこの会のことを聞きました。先進的な事業者が定例で集まって情報交換をされている、と。早速、北山さんらと入会を決めました。以来、現在まで会員とさせていただいています。鹿児島からですから毎回参加というわけにはいきませんが、最近は社員を交代で出席させるなどして勉強させています。
――太陽ガスさんの人事制度は独特の成果主義で、本会のメンバーも勉強させていただきました。
あれを成果主義と言うのかどうか。私からすれば、世の多くの会社がとっている成果主義は、上が求める成果を下がなかなか達成できず、それで中間層が疲弊する……そんなふうに感じています。当社のしくみは、自立した社員を育成するにはどうすべきか、それを考えていくうちにできあがったしくみです。当社の場合、組織がピラミット型ではなくフラットですから、私と一人ひとりの社員が目標について約束し、その達成に見合った報酬を払うということです。もっとも、それができるのは当社のような企業規模、社員数だからということもありますね。
当社のしくみはいまのところ成功しています。若い社員が中心となって進めているリフォームイベントなど、1日で8,000人以上の集客ができるまでになっていますが、それらは彼らの力です。
エネルギー事業で地域振興に貢献
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――LPガス販売事業の将来は厳しいものがあります。太陽ガスさんはどのような事業展望をお持ちですか。
ガスの得意先が増え続けたり、需要が大幅に増えるということは考えにくい。けれども、サバイバル戦はやはり消耗します。新しい事業、未来を拓く仕事をしていきたい。そのような思いでいま取り組んでいるのが電力事業です。
電力自由化が具体化する以前から、風力や太陽光など自然エネルギーに関心がありました。海外では、当社のような規模の会社でも、風力発電などによる電力会社としてビジネスが成り立っているようです。これは面白い、“エネルギーの地産地消”をめざしてみようかと思い立ちました。
地域の企業や行政、金融機関に声をかけ、専門分野の人材をスカウトし、小水力発電の会社を2013年(平成25年)に立ち上げました。2016年(平成28年)からは低圧、高圧の電力供給を開始しています。小水力、太陽光、そしてコージェネレーションなどを組み合わせ、地域の最適なエネルギー供給システムを作り上げ、地域振興に貢献していく……そういう未来への夢をもった事業です。LPガス事業で作り上げてきた地域での信用と、熱意をもって仕事をしてくれている社員とで、これを成功させたいと思っています。
時代環境に応じてコア事業を変えていく
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小平グループについて
当社の関連会社である小平(株)は、100年以上前、1912年(明治45年)に串木野で創業しました。創業時は鍛冶屋で、父も最初は鉄工所のような仕事をしていたようです。しかし戦争で肺を悪くし、その仕事はきつい。また、時代が鍛冶屋のような鉄工所を必要としなくなっていましたから、将来をいろいろ考えたようです。そのような中で、1950年代に雑誌か何かでLPガスを知り、始めたと聞いています。鹿児島でも最も古いLPガス販売事業者です。そういえば、初期の頃のLPガスの仕入れ先は溶材商の会社でした。
この着眼は良く、商売は伸びました。父はこつこつ仕事をするタイプでしたが、ガス給湯器の普及などにも積極的に取り組み、そのことは業界でも話題になったようです。
小平の社長となった兄は、時代に応じた事業を展開すべく多角化へと進み、現在はガスの卸売以外にも、コンピュータ・IT関係、貿易やアウトドアなどいくつかの事業の柱があります。経営理念は「新しい老舗」です(談)。