ソニー・ニューヨーク勤務からLPガス業界に
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――社長がこの業界に入って何年になりますか。
清水 1997年に東上ガスに入りましたから、20年になります。東上ガスは私の父が創業しましたが、父は私が2歳半のときに亡くなりました。その後の会社は埼玉県LPガス協会会長などを務められた三上吉之助さんらが経営を引き継ぎ、大きくしてくださいました。ですから私は、自分がこの会社を継ぐという意識はなく、大学を出てソニーに就職したわけです。ソニーでは広報などの仕事をし、ニューヨーク駐在も経験しました。今回、ソニーの社長になった吉田憲一郎さんとは、ニューヨーク時代に机を並べて仕事をしていました。ソニーには17年勤めていて、うち半分はニューヨーク。埼玉県ともガスとも、とっても距離のある所にいたわけですが、三上さんが亡くなった後、当時の社長から「帰ってこい」と言われました。42歳でした。
入社したものの、現場経験はもちろん、業歴もまったくないわけですから、一から勉強です。いろいろなところに顔を出して、ちょっと学生気分で勉強して歩きました。タスクフォース21に参加したのもその一つです。業界団体の集まりにも出かけて行き、いろいろ情報を集めましたが、そのうち「あいつはそういうことが好きなんだ」という誤解が生じたらしく、故・川本宜彦さんから「次をやれ」と埼玉県協会の会長に推されることになったりしました。
“元ソニー”という肩書きなしで、ガスの仕事をしたいと注力してきました。私のキャリアで、ソニー時代より東上ガスでの年数のほうが長くなった今、埼玉県協会の仕事もさせていただき、ようやく、“ソニー抜き”で仕事ができるようになった気がしています。
地域でのLPガス事業者の役割を追求する
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――異業種から来て、この業界をどう感じましたか。
清水 私がこの業界に来たのは、ちょうど切替業者による顧客争奪戦が激しくなりはじめた頃で、業界の人たちの多くが浮足立っている感じがしました。「これから大きく変わる」ということを言う人も多かったのですが、私自身は「どこが落ち着き所なのかわからないな」と思っていました。ただ、埼玉県協会の仕事をしているうち、LPガスが持つ貯蔵性に優れた点や自立的な供給システムなど、そのエネルギー特性はすごいなと思うようになりました。この特性をもっと打ち出していくべきではないか。災害用だけでなく、災害時に避難所となる小学校などの公共施設で日常的に使用されるべきだと強く思うようになったわけです。
LPガス事業は地域密着だとよく言われますが、地域で何ができるかを具体的に考えると、こうしたLPガスの特性を活かしながら地域を支える各種インフラを担うことがこの事業ではないかと今は思っています。地域と言っても、本当に小学校の校区のようなエリアです。電力・都市ガスの自由化の中で、エネルギー事業者は1,000万件以上規模の東京電力や東京ガスを筆頭に、100万件以上なければ生き残れないといった議論があります。確かに効率化のためには、業務提携なども含め規模の拡大は有効なのかもしれません。その一方で、毛細血管のように、小学校の校区規模のインフラの担い手として、きめ細かなサービスを展開できる事業者は、これから少子高齢化が進む中、まさに必要だと思います。LPガス事業者は、この部分で強みを発揮している存在です。しかし、現状では、埼玉県内でも販売店さんの廃業が増え、当社もその受け皿になっていますが、ただ単に供給先を引き継ぎ規模を大きくするのではなく、これまで販売店さんが担ってこられた地域の役割も引き継ぐ、そういうことが大切だと思います。
新ビジネスは地域と時代のニーズから生まれる
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――販売店が持っていた地域の役割はどんなビジネスとして展開できるのでしょうか。
清水 もちろんまずエネルギーの供給。ガスの安定供給だけでなく、現在議論されている料金問題、価格面での信頼獲得も必要でしょう。エネルギーサービスはガスだけにこだわらない。当社にはグループの都市ガス会社・大東ガスがありますし、電気の販売や太陽光発電も始めています。地域、工場や学校、商店、アパートやマンション、一般の家庭など消費者単位でエネルギーミックスを実現し、デマンドサイドコントロールを実施していく。そして、その周辺でもさまざまなビジネスがあるでしょう。
タスクフォース21でも、さまざまな新サービスや新事業の提案がありますね。当社も事業の多角化は考えていないことはありません。ただあまり器用ではありませんから、あちこちに手を出すことはしていません。というよりも、私は新事業というのはニーズがあって初めて成立するものだと考えています。地域のお客様が必要としているものがあれば、それを担う。それがビジネスになるということです。沖縄のほうでは、バス会社が撤退するというので地域の人が困っていたら、バス会社の経営をガス会社が引き受けたという話を聞きました。そういうふうに地域ごとに必要な仕事、事業があるはずです。当社の本社がある埼玉県でも、県北部などでは人口減少や高齢化が進んでいます。当社の主要エリアの県南部はまだ人が増えていますが、いずれ「ニュータウン」が「オールドタウン」となることは容易に予想できます。人口減少は行政サービスの維持にも支障をきたしますから、おそらくそういう分野で新しいビジネスが生まれるのではないかと考えています。
若い人にとって魅力ある会社にしたい
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――地域貢献ということが東上ガスさんの事業の軸ということですね。
清水 もちろんビジネスですから、そこで利益を出さねばなりません。地域貢献だからと言って赤字を垂れ流すわけにはいかない。現在のガス事業も含め、新しい技術の導入や新しい発想が必要だと思います。
当社は創業時は東上興業と言いました。戦後、まだ国が貧しくて、石油などエネルギー輸入もままならない時代に、父たちは千葉の茂原のほうで産出される国産圧縮天然メタンガスを仕入れて、関東東海一円に供給する仕事を始めました。そのスタートは、ガスを売ろうということよりも、戦争で若い男たちの多くが亡くなった中で、生き残った自分たちが地域のために何かしようという青年団活動のようなものだったようです。それが現在の当社や大東ガスの原点です。若い人が目的をもって地域のために貢献しようと一生懸命やれば、結果としてそれがビジネスになる、そう私は考えます。
そのためにも、当社自身も、若い人にとっても魅力ある会社にしなければなりません。そんなことも考え、当社で10年以上続けているのが「東上フェスタ」です。若手社員にチームを作らせて、企画立案から運営まですべて任せています。気仙沼市の同業者にサンマを手配していただいたりしていたので、東日本大震災の後からは、東上フェスタでお客様に復興支援のための募金を行っています。
この募金は累計で100万円を超え、寄付を続けてきた気仙沼市ではそれを復興モニュメント制作の一部に充てるという話にもなっています。このように小さなことであってもしっかりと継続させていくことが大事です。AKB48ではありませんが、誰かスターが引っ張るのではなくメンバー一人ひとりががんばって全体で盛り上がる、そういう組織が当社にも出来上がればいいと思っています。私は秋元康さんには及びませんが、がんばる若い社員の応援団長でありたいと思っています。