積極的に中央の情報を得る
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――この業界に入られた経緯から教えてください。
高橋 父が福岡市の南にあるこの地でLPガス販売を始めました。西部ガスに対抗して「南部プロパン」。1958年(昭和33年)の創業です。私はとくに父の仕事を継ごうなどとは考えていませんでした。高校でも、大阪の大学でも野球ばかりやっていて、会社は松下電器の貿易部門に入りました。松下といえば輸出がメインですが、私は輸入の部署に配属されました。上司が面白い人で、世界で一番いいモノを輸入するという方針で、さまざまな世界の一流家電や関連商品ばかりを探しました。
当時はまだ松下幸之助さんが存命中で、ある時、私の部署に激励に来られました。その時、私は「いずれ松下の社長になります」と言いました。幸之助さんは「君のような人が社長になればいいね」と言ってくれました。このことは私の若い頃の思い出であり、自慢でもあります。
社長になるつもりで松下で働いていて社内結婚もしたのですが、入社4年目で父が倒れました。帰って、家の仕事をしなければならなくなったわけです。父は長く患いましたが、2011年(平成23年)に他界しました。
――タスクフォース21では初期のメンバーですね。
高橋 会社の仕事を覚え、業界の様子もわかってきましたが、やはり中央の情報が知りたかったわけです。三愛石油の関係でカナジュウの牧野社長の知遇を得まして、牧野社長が会長をされている会があるということで参加させていただきました。タスクフォース21や「2010の会」などの交流会に参加し、福岡にも来てもらったりしました。九州の同世代の仲間と牧野さんたち全国で活躍する先進的な事業者との交流の機会をつくったりもしました。この中の若手の仲間は、今それぞれの会社や業界のトップとして活躍していますが、この時作った人脈は大変貴重なものとなりました。
タスクフォース21に参加した頃は、ちょうど液石法の改正に前後して、神奈川では切り替えが業者が現れた頃でした。いずれ九州・福岡にも同じことが生じるだろうと、会で得た情報を福岡の仲間と共有したりしました。その仲間の中には、亡くなった泉博文さんもいます。泉さんが福岡の県協会の仕事を引き受けることになり、手伝ってほしいと言われました。地域業界のため、また泉さんのためということで私になりに一生懸命やりましたが、そこでもタスクフォース21での情報は大いに役立ちました。泉さんが亡くなって、私の役割も終えたかなと、今は県協会の活動からは少し引いてみようと思っているところです。
安売りをしても後が続かない切替業者
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――福岡も最近はいろいろ騒がしくなってきましたね。
田島 地元の大手による切り替えは以前から活発でしたが、切り替え後の設備代金の清算などに応じなくなっていますから、切り替えをやり過ぎて資金がかかり過ぎたのかなどと噂する人もいます。その会社が関東地方の有名な一部上場企業から切り替えのノウハウを得たような話も流していましたから、関東のようにブローカー営業が蔓延しないように対策を講じる必要があるかもしれません。
東海地方が拠点の大手も福岡に営業所を出し、さかんに切り替えをやっています。当社のお客様も勧誘を受けていますが、まだそれほど脅威ではありません。というのも、お客様には「安値の売り込みがあっても、その安値はいつまで続くのか確認してください」と伝えているからです。それで実際にお客様が相手に確認しようと電話すると、かえって不信感が強まることになって、結局戻ってくれます。切替業者は獲ることに追われているようですから、そういう状態で安売りをしてもなかなか難しいのではないでしょうか。
切替営業で有名な他県業者が販売店を買収して拠点にし、それが続かなくて他の他県業者に売る、などということも起きています。
信念を持って事業を続ける
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――しかし、切り替えが増えれば、料金政策にも影響が出ますね。
高橋 当然、価格で動くお客様はいます。切り替えが増えれば福岡のガス料金も下がっていくでしょうし、条件の競争も激しくなるでしょう。
福岡でも配管や給湯器をタダにしてアパートの供給を得る例はありましたが、最近はエアコンやインターフォンまで無料ということもあります。高い料金をとっているからそれができるわけで、ガス業者の方から売り込む場合もあれば、オーナーや管理会社から要求されることもある。それを賄うために料金がまた上がるという悪循環がありました。まともに考えれば、この状態のまま安売り競争はできないはずです。
設備の貸与がエスカレートし、その結果、ガス料金が異常に高くなり、都市ガスの2倍近くの料金も散見されます。LPガス離れが加速している現状を危惧しています。
当社の場合、この地域で競合する他社に比べて料金は安い水準にあると思います。特別安く売ろうとしたわけではありませんが、業界で料金改定が繰り返された中で、気がつくと安かった。
料金についてはいろいろ議論があるようですが、当社の料金表はシンプルで、業務用など特別な契約以外は1つの料金表です。もちろん、お客様とのやりとりではいろいろありますから、割引を適用しているお客様もありますが、その都度料金表を変えることはしません。複雑になりますからね。料金表から一定額を割り引くようにしています。これは昔からそうです。
料金については料金表の公開などさまざまな課題がありますが、お客様との関係では、自社が定めた料金でできることとできないことをしっかり説明し、それで無理が生じるならお断りするということも必要だと思います。この姿勢も、昔から同じです。
――会社のこれからについてはどのようにお考えですか。
高橋 ガス業界の将来を踏まえ、自社では何をどうすべきか、後継者のことも含め、いろいろ考えてはいます。業界の中だけなく、地元や全国のさまざまな情報を集めながら考えたい。そういう時、タスクフォース21など業界でのネットワーク、そして高校、大学、松下、それから地元・福岡の経済界で得た人脈が大いに役立ちます。
一方で、企業の社会貢献というか、私自身が福岡に戻ってからずっと続けてきた地域貢献や弱者支援については、福祉事業として形になってきています。これはなんとしても続けていきたい。営利事業ではありませんから、これを維持するためにも本業であるガス事業の安定と拡大は不可欠です。
ガスの仕事を始めた頃、都市ガスという大企業との戦いで理不尽な思いもしました。電気との戦いでは、やはり大資本との力の差を感じながらも、負けまいとやってきました。同業者間の競争でも、業界をリードすべき会社がルールを守りませんし、業界団体の中でも、自分さえよければいいという考えの人もいました。そのような中でも、きちんとした理念、理想を持って事業をしている仲間も少なくありませんから、彼らとともに自分の信じるところを進んできたつもりです。これからもそうでありたいと思っています。